四条河原[語句情報] » 四条河原

「四条河原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

四条河原の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
たろう。――そう云えば、前に申し上げる事を忘れましたが、摩利信乃法師は始めから、四条河原の非人《ひにん》小屋の間へ、小さな蓆張《むしろば》りの庵《いおり》を造り....
京の夏景色」より 著者:上村松園
にして夏の短かな夜を楽しんだなどということは夢にも考えることが出来ません。ただ、四条河原の夕涼みは都の夏の景物の代表的なものだったので絵に描かれて残っているもの....
絶景万国博覧会」より 著者:小栗虫太郎
駆け込んで来たが、その折門前では、節句目当ての浮絵からくりらしい話し声――。(京四条河原夕涼みの体。これも夜分の景と変り、ちらりと火が灯ります。首尾よう参ります....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
町通の商店の資本は、敗戦後たいてい大阪商人から出ているという話である。 最近、四条河原町附近の土地を、五百万円の新円で買い取った大阪の商人がいるという。 焼....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
ーキを食べた。そこを出て、京極通を三条へ出て、河原町通を四条の方へ引きかえした。四条河原町の手前にある小路を左へ折れて、「ヴィクター」喫茶店へはいった。薄暗いい....
土曜夫人」より 著者:織田作之助
もうスリは河原町通りへ姿を消していた。同時にカラ子の姿も見えなくなっていた。 五四条河原町の三味線屋の飾窓の中に、委託品として陳列されているスリービーのマドロス....
藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
近き美しき女房 その他重要ならざる二、三の人物 時 元禄十年頃 所 京師四条河原中島 第一場 ――四条中島都万太夫座の座付茶屋宗....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
河原をなしていたものであった。そして今の天部部落は、もとこの鴨河原の住民で、後に四条河原の細工とも呼ばれ、やはりここで放牧葬送の地の世話をしておったのがその起原....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
い。役者の方では「雍州府志」を証拠として、芝居なるものは八十年ばかり前に、京都の四条河原に始まったもの、歌舞伎も慶長年間に、出雲のお国が始めたもの、浄瑠璃も治郎....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ということがありまして、玉造は土地を持たなかった。また今の京都の天部部落は、もと四条河原に居まして、これを「四条河原の細工」ともあります。皮細工の雑戸で、それで....
殺人迷路」より 著者:夢野久作
叱りになって、「おのれ。無用の者を見付けて人を騒がせるヤクタイ者。これより直ぐに四条河原へ行って、今度、桂川を流れ下った長持の風説を、芝居に仕組んで興行すること....
私本太平記」より 著者:吉川英治
のようだった。 けれど、それらの変異に馴れッ子になっていた人心も、六月十一日の四条河原の勧進田楽の大椿事にはきもをつぶして、これはただ事ではないぞとみなおぞけ....