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「四条派〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

四条派の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
した。 「見れば、この新画の落款には栄湖としてあるようじゃが、栄湖というのはあの四条派の久和島栄湖であろうな」 「へえい。新画番付では三役どころの画工だそうにご....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
表現する助けとなるような形の修正を加えただけである。ゆえにこの派の作には浮世絵や四条派の絵をなしている気分と同じ気分が認められる。 時の余裕があれば、この時代....
画学校時代」より 著者:上村松園
仏教の学校のように感じます。東宗北宗などと言いますと…… 東宗というのは柔かい四条派で、主任の先生は望月玉泉さん。 西宗というのは、新しくぼっこうした西洋画....
日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
てあらゆる画家の位置を決定することができそうに思われる。たとえば狩野派・土佐派・四条派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることもできはしないか。....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
庖丁加減にちっとも気のつかない奴が、物の上手になったためしはないのですからな。」四条派の始祖松村呉春は、人を見るとよくこんなことをいったものだ。 呉春は、『胆....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
の間といえば、夏になると必ず出る滝の図があった。渡辺祥益といって天満に住んでいた四条派末期の先生の作で、その画風は本格的で温柔そのものであった。図は箕面の滝の夏....
津田青楓君の画と南画の芸術的価値」より 著者:寺田寅彦
ある。戯れに描いた漫画風のものにまでもそういう気分が現われている。その重々しさは四条派の絵などには到底見られないところで、却って無名の古い画家の縁起絵巻物などに....
作画について」より 著者:上村松園
年少の頃から、研究の推移をふり返ってみますと、大体において南宗、北宗から円山四条派におよび、土佐や浮世絵などをもくぐって来、それに附加して博物館とか神社仏閣....
三人の師」より 著者:上村松園
れた、いわば育ての親とも言うべき大切な師なのである。 松年先生の画風というのは四条派のしっかりしたたちで、筆などもしゃこっとした質のもので狸の毛を用いたのをよ....
昔のことなど」より 著者:上村松園
なく独創的な所があり、一目見るなり大変感心さされてしまいました。一般にその頃は、四条派四条派で伝統の中にばかり育ってるような絵より顧みられない雰囲気の中でそう....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
聞えていた。一風変った画を描くのは誰にも知られていたが、極彩色の土佐画や花やかな四条派やあるいは溌墨淋漓たる南宗画でなければ気に入らなかった当時の大多数の美術愛....
日和下駄」より 著者:永井荷風
び》ゆる麓を巡って舟楫《しゅうしゅう》の便を与うるのみか、紅葉《こうよう》の頃は四条派《しじょうは》の絵にあるような景色を見せる。王子《おうじ》の音無川《おとな....
今日になるまで」より 著者:上村松園
先生に師事しました。また十九の頃漢学も習い始めました。その時分の京都では狩野派や四条派の花鳥山水が全盛で、人物画の参考が全然ありませんでした。そこで参考品を探す....
想い出」より 著者:上村松園
生が校長で、生徒は百人余り、組織は東西南北の四宗に別れていまして、東宗は柔らかい四条派で望月玉泉先生、西宗は西洋画で田村宗立先生、南宗は巨勢小石先生、北宗は力の....
切支丹転び」より 著者:田中貢太郎
大久保|相模守は板倉|伊賀守と床几を並べて、切支丹の宗徒の手入を検視していた。四条派の絵画をそのままに青々とした岸の柳に対して、微藍の色を絡めて流れていた鴨河....