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四谷
「四谷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
四谷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「冬」より 著者:芥川竜之介
姉《いとこ》が一人僕を待ち暮らしているはずだった。僕はごみごみした町の中をやっと
四谷見附《よつやみつけ》の停留所へ出、満員の電車に乗ることにした。「会わずにひと....
「夜行巡査」より 著者:泉鏡花
を罵《ののし》り、満腔《まんこう》の熱気を吐きつつ、思わず腕を擦《さす》りしが、
四谷組合と記《しる》したる煤《すす》け提灯《ちょうちん》の蝋燭《ろうそく》を今継....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
、すやすやお寐みだと承りましたから、御遠慮申しました。」 「妙は居たかい。」 「
四谷へ縁附いております、先のお光をお連れなさいまして、縁日へ。」 「そうか、娘が....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
」参謀は、大東京区域図をバリバリ音させて、その上に、太い指を動かした。「淀橋区、
四谷区は、大半焼け尽しました。品川区、荏原区は、目下延焼中であります。下町方面は....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
敵は計画的にこの暴挙をなした」とある。 ◯ラジオ報道によると、豊島、板橋、王子、
四谷が、もっとも多く燃えた由。しかし死傷者は少ないとの事である。去る三月十日の空....
「海神別荘」より 著者:泉鏡花
士 (朗読す)……世の哀とぞなりにける。今日は神田のくずれ橋に恥をさらし、または
四谷、芝、浅草、日本橋に人こぞりて、見るに惜まぬはなし。これを思うに、かりにも人....
「火葬国風景」より 著者:海野十三
何を喋ろうという気もなかった。そのまま、この知人と別れて、同じ人混みをズンズンと
四谷見附の方へ流れていったのだった。 (あいつは、誰だったかナ) 八十助には、....
「縷紅新草」より 著者:泉鏡花
たとお思い。その築地は、というと、用たしで、歯科医は大廻りに赤坂なんだよ。途中、
四谷新宿へ突抜けの麹町の大通りから三宅坂、日比谷、……銀座へ出る……歌舞伎座の前....
「露肆」より 著者:泉鏡花
るもので、五布ばかりの鬱金の風呂敷一枚の店に、襦袢の数々。赤坂だったら奴の肌脱、
四谷じゃ六方を蹈みそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
川崎の大師へ参詣かたがた……は勿体ないが、野掛として河原で一杯、茶飯と出ようと、
四谷辺の大工左官など五六人。芝、品川の海の景色、のびのびと、足にまかせて大森の宿....
「迷信解」より 著者:井上円了
し、あるいは売卜にたずね、あるいは御鬮を引きなどして探索するうちに、ある人より、
四谷大木戸の先なる寺の墓所に死人ありと告ぐるゆえ、家族の者すぐさま
四谷に行きしと....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
葉亭との初対面が最も深い印象を残した。 たしか明治二十四年頃であった、二葉亭は
四谷の津の守の女の写真屋の二階に下宿した事があった。写真屋というと気が利いている....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
丐となるかという意味の名古屋附近に行われる諺。) 十五歳の時、島根から上京して
四谷の忍原横町の親戚の家に寄食した。その時分もヤンチャン小僧で、竹馬の友たる山田....
「可愛い山」より 著者:石川欣一
たかったのかも知れぬ。 一行四人に人夫や案内を加えて、何人になったか、とにかく
四谷から入って、ボコボコと歩いた。そして白馬尻で雪渓の水を徒渉する時、私のすぐ前....
「こがらし」より 著者:岩本素白
とに、其の中の五人までが生え抜きの東京生れの学生であった。其の時こそ下谷、本郷、
四谷、牛込、麻布という土地に住んで、大方が山の手組であったが、家の系統を聞くと、....