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四門
「四門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
四門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
って、御警固|旁々座に控えていた者はたった四人。――いずれも御気に入りの近侍の林
四門七と、永井大三郎と、石川六四郎と、そうして多々羅半兵衛の四人だった。 声は....
「沈没男」より 著者:海野十三
砲としては十五|吋砲を八門、副砲六吋十二門、高角砲四吋八門、魚雷発射管は二十一吋
四門という聞くからに頼母しい性能と装備とを有して居り、ことに高角砲分隊の技術につ....
「太平洋雷撃戦隊」より 著者:海野十三
に追いすがるように、俄かに進路をかえました。四千メートル、三千メートル……。×の
四門の砲身はキリキリキリと右へ動きました。 「あッ」 八門の砲口から、ピカリ赤....
「蠹魚」より 著者:宮本百合子
職官、礼度、奏議、教育。第三門に天文、数学、博物学、医学、兵学、農学。そして、第
四門に文学美術、音楽。第五門、編年、家記、伝記、考証、地理。第六門に叢書、類書等....
「接吻」より 著者:神西清
砲のまわりに将校その他が進んでゆく。旅団には中隊が全部で六個あり、中隊ごとに砲が
四門ある。といった次第でこの行列は蜿々四五町にわたっているのだ。殿りをつとめるの....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
と、噸数《トンすう》は八千五百噸、武装は十五|糎《サンチ》砲十五門、十二糎高角砲
四門で、速力は三十三ノットだ。 この数字を見ただけでも、『最上』級が立派な世界....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
なり。談天藻璧門は白色なり。安嘉偉|鑒《かん》門には黒色なり。郁芳皇嘉殷富達智の
四門には、黄色を立つるなり(中略)。四方の門にまた黄色の土牛を立て加ふるは、中央....
「三国志」より 著者:吉川英治
征旗を奉じてきている軍の本営だけに、将軍の室は、大きな寺院の中央を占め、境内から
四門の外郭一帯にかけて、駐屯している兵馬の勢威は物々しいものであった。 「はっ。....
「三国志」より 著者:吉川英治
びただしい病人が出たりして来たのである。 機をうかがっていた長安の兵は、一度に
四門をひらいて寄手を蹴ちらした。大敗した西涼軍は、ちりぢりになって逃げ走った。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
われむように、打笑って、 「そんなことを取締るのは君、造作もないじゃないか。城外
四門へ監視隊を備え、また、城の内外を、たえず督軍で見廻らせて、逃散の兵は、即座に....
「三国志」より 著者:吉川英治
をなぐさめて、孔明はただちに、諸将へ指令した。 「まず、防戦の第一着手に、城下の
四門に高札をかかげ――百姓商人老幼男女、領下のものことごとく避難にかかれ、領主に....
「三国志」より 著者:吉川英治
って行った。 すでに周瑜は城門の下まで来ていた。見まわすところ、ここのみか城の
四門はまるで開け放しだ。――いかに敵が狼狽して内を虚にしていたかを物語るように。....
「三国志」より 著者:吉川英治
ついに※城の下まで追いつめて行った。 潰走した蜀兵はみな城中にかくれて、ひたと
四門をとじてしまった。蜀の名将|張任の命はよく行われているらしい。 この城の南....
「三国志」より 著者:吉川英治
た。 受禅台は、繁陽の地を卜して、その年十月に、竣工を見た。三重の高台と式典の
四門はまばゆきばかり装飾され、朝廷王府の官員数千人、御林の軍八千、虎賁の軍隊三十....
「三国志」より 著者:吉川英治
とは信じられない。何かの誤聞でしょう」 と云い張ったが、夜に入ると、蜀の軍勢が
四門を取り巻いて、柴を積み、火を放ち、かつ一人の将が先頭へ出て、 「城中の人々よ....