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因幡
「因幡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
因幡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一月はまだ万延二年のわけですが……。その頃、京橋の築地、かの本願寺のそばに浅井|
因幡守《いなばのかみ》という旗本屋敷がありました。三千石の寄合《よりあい》で、ま....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
を経験したときのこと それは昭和七年三月二十、二十一日の連休を利用して、但馬と
因幡の国境につらなる氷ノ山―扇ノ山の尾根を縦走中、吹雪のためにあやうく凍死せんと....
「高島異誌」より 著者:国枝史郎
々何物の変化であろう」 斯ういうことのあったのは、元禄十五年六月のことで、諏訪
因幡守三万石の城下、高島に於ける出来事である。 偖、斯うして巨財を贈わった。本....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の間は尾州藩、本山から下諏訪までの間は松平丹波守、下諏訪から和田までの間は諏訪|
因幡守の道固めというふうに。 十月の十日ごろには、尾州の竹腰山城守が江戸表から....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ていて、それぞれ手分けをしながら斥候の任務に就いていた。 諏訪高島の城主諏訪|
因幡守は幕府閣老の一人として江戸表の方にあったが、急使を高島城に送ってよこして部....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
人と馴染になって職人に成りたいと云うから、それじゃア成んなさいと云うので、京橋の
因幡町の左官の長八と云う家へ奉公に遣っただ、左官でも棟梁になりゃア立派なもんだと....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
すなわち諏訪の湖水であって、彼方の岸に壁白く石垣高く聳えているのは三万石は諏訪|
因幡守の高島城の天主である。 天晴れ気澄み鳥啼きしきり長閑の秋の日和である。 ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
らに」(巻十七・三九六二)等である。 麻続王が配流されたという記録は、書紀には
因幡とあり、常陸風土記には行方郡板来村としてあり、この歌によれば伊勢だから、配流....
「稚子法師」より 著者:国枝史郎
の時を以て、先ず其端を発するのである。 不時のご用を仰せ付かって、信州高島諏訪
因幡守の許へ、使者に立った萩原主水は、首尾よく主命も果たしたので、白馬に鞭打ち従....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
一組同じような人数がやって来た。 塀へ掛けた縄梯子 「信州高島三万石諏訪
因幡守様ご同勢」 「ははあさようでござりますかな」 おりからまたも、一団の人数....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
立って茶屋を出たのであった。左は湖水、右は榠櫨畑、その上に月が懸かっていた。諏訪
因幡守三万石の城は、石垣高く湖水へ突き出し、その南手に聳えていた。城下の燈火は見....
「塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
二年十一月廿六日の事でございます。多助は毎日/\炭を車に積み、青山信濃殿町の青山
因幡守様のお邸へ往きまするに、四谷へ来て押原横町に車を待たせ置き、彼処から信濃殿....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
名をもって、出羽留守所宛に左の命令が執達された。 当国※件。 十月廿四日 前
因幡守 出羽留守所 奥羽両国に対しては鎌倉の武威をもってしても、実際特別....
「古事記」より 著者:太安万侶
皆大國主の命にお讓り申しました。お讓り申し上げたわけは、その大勢の神が皆《みな》
因幡《いなば》のヤガミ姫《ひめ》と結婚しようという心があつて、一緒に
因幡《いなば....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
寛文頃迄は、今の松原通り東洞院の東、稲荷町の地にあったとも言われている。その地は
因幡薬師の東で、或いは東寺の散所法師の如く、
因幡堂のキヨメすなわち掃除夫であった....