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「図会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

図会の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
けで、今日そこに明神の社はありませんが、江戸時代には立派な社殿があって、江戸名所図会にもその図が出ています。ところが、その明神の山に一種の伝説があって、そこには....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
案内されて、わたしは町内の飾り物などを観てあるいた。その晩、家へ帰って東海道名所図会を繰ってみると、三州池鯉鮒の宿のくだりに知立の神社のことが詳しく記されて「蝮....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の家の隣りにいた人で、それ、日本橋通り一丁目の須原屋茂兵衛の出版した『江戸名所|図会』を専門に摺った人で、奥村藤兵衛さんの悴の藤次郎さん、……これがその東雲とい....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
、余りに言い古されているとしても、江戸から富士を切り捨てた絵本や、錦絵や、名所|図会が、いまだかつて存在したであろうか。 私のいる室は、一石橋を眼下に瞰下して....
自由画稿」より 著者:寺田寅彦
途中の左側に二軒、辻《つじ》を隔てて相対している黒焼き屋であった。これは江戸名所図会にも載っている、あれの直接の後裔《こうえい》であるかどうかは知らないがともか....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
な屋根の下で愛して頂戴ねと女給たちが歌っているのかと思うと不思議なくらいの名所|図会的情景である。ただ遠い森の中にJOBKの鉄柱が漸く近代を示す燈台であるかの如....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
あたりが道節の寂寞道人肩柳や浜路の史跡である。小説の史跡を論ずるのは極楽の名所|図会や竜宮の案内記を書くようなものだが、現にお里の釣瓶鮨のあとも今なお連綿として....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
々の反対説があって、播磨鑑には小刑部明神は女神にあらずと云っている。播磨名所巡覧図会には「正一位小刑部大明神は姫路城内の本丸に鎮座、祭神二座、深秘の神とす。」と....
温泉雑記」より 著者:岡本綺堂
もある。 客の心持が変ると共に、温泉宿の姿も昔とはまったく変った。むかしの名所図会や風景画を見た人はみな承知であろうが、大抵の温泉宿は茅葺屋根であった。明治以....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
主は栗栖の訛なり。湯浅村|顕国神社も此神を勧請せるにて、国津神とも唱ふ、……名所図会云、『国主神社は古くより久授呂宮と云ひ伝ふ。久授は国栖にて、呂は助語なるべし....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
の護法実を置いて、一種の恐ろしい修法をする行事が今も行われているのである。都名所図会に、「扨又夜に入って、里の俗を一人本堂の中に座せしめ、院衆法力を以て祈り殺し....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
三才図会に長脚国・長臂国がある。「長脚国は赤水の東にあり、其の国人長臂国と近く、其の....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
名称とについて定説がないと同様に、これまでほとんど確かな説がない。正徳の和漢三才図会には、「凡そ物の大なる者を馬と云ひ、小なる者を雛といふ。此の戯は皆小器を用ふ....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
の文字はもとより単に発音をあらわす為の借字で、「※嚢抄」の著者や、後の「和漢三才図会」の著者等の考えた様に、その文字に穢れ多き故という様な意義があるものではない....
日本橋附近」より 著者:田山花袋
の ひと目はゞかる足どりに きしきし嘆く橋の板。 それを、その橋をあの江戸名所図会にある橋と比べ、また明治の初年食物店や興行物でその袂が埋められた頃の橋と比べ....