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「国交〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

国交の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
明をつけると、それに近いものだった。 我が潜水艦の行方 ――遂に国交断絶―― 横須賀の軍港を出てから、もう二|旬に近い日数が流れた。 清二の....
近時政論考」より 著者:陸羯南
はだ富強なるに驚きてほとんどその措くところを失いたり。識者間の考量もまたもっぱら国交上にありて、いかにして彼らと富強を均しくすべきかの問題は、士君子をして解釈に....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
かくの評判のある人ではあったが、ただ、他人にまねのできなかったことが一つある。外国交渉のことにかけては、天朝の威をも畏れず、各藩の意見のためにも動かされず、断然....
浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
は、由々しき一大事だというのであった。 日英関係のけわしい折柄、英国が、これを国交上の大問題としてとりあげたのは、尤もなことであった。 今からちょうど百年前....
若草物語」より 著者:オルコットルイーザ・メイ
のほうが正しいがいいわけしたのがわるく、わたしがあやまるまで来ないといって帰り、国交断絶、わたしはローリイのあやまりに来るのを待ちましたが来ません。その晩、エミ....
町内の二天才」より 著者:坂口安吾
郎の背中に塩をぶちまいて追ッ払っちまえ。縁起でもねえ」 こういうワケで、両家の国交断絶と相成ったのである。 源床が魚屋の発狂を云いふらすこと 当節....
端午節」より 著者:井上紅梅
歩きながら懐中を探り大声出して 「おい、取って来たよ」 と、ごちゃ交ぜにした中国交通銀行の紙幣を彼女に渡し、顔の上にはいささか得意の色があった。ところが五月四....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
。政宗にはそのような用意や研究は何もなかったようだ。彼は当時のオランダと旧教国が国交断絶、敵対関係にある事情についても正しい認識がなかった。そしてその手落ちによ....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
だこれ一個の貿易国として単にその利益を利せんとしたるに過ぎず。素より今日のごとき国交際の関係あるに非ざれば、大抵のことは出先きの公使に一任し、本国政府においては....
荘子」より 著者:岡本かの子
やっぱり長い間の繁昌の惰性もあり地理的に西寄りではあるが当時の支那の中心に位し諸国交通の衝路に当りつつ歌舞騒宴の間に説客策士の往来が行われ諸侯の謀臣と秘議密謀す....
日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
をも保たしめた聖君子的外交で在したのであって、この理想的外交の結果、日本と隋との国交は滑らかにつづき、隋滅びて唐となっても、その国交は継続され、支那大陸の優秀な....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
らざれば遠からず討伐を受けるであろう」 しかしマニラ総督の使者は、 「私どもは国交を修めるために参りましたものでありますから殿下のご要求にお答えするには改めて....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
なかったので、少と早まり過ぎたのサ、」とばかり軽くいっていた。 間もなく日露の国交が破裂した。北京に在留中から露西亜の暴状を憤って、同志と共にしばしば公使館に....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
は東晋の末であった、爾来、宋・斉・梁等の、所謂南朝の諸国と交通を重ねたが、その後国交中断すること百余年。隋起って南北両朝の諸国を統一するに至り、推古天皇は久し振....
浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
ATOの体制の強化へと向わんとする危険な動きであります。この動きは中国との友好と国交正常化を阻害しようとする動きでもあります。これらの動きはあるいは警職法反対の....