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「国劇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

国劇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
老妓抄」より 著者:岡本かの子
には思いがけない素人や芸人もあった。 中国の名優の梅蘭芳《メイランファン》が帝国劇場に出演しに来たとき、その肝煎《きもい》りをした某富豪に向って、老妓は「費用....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
れら素人の脚本はもう歌舞伎座で上演される見込みは絶えてしまった。 その当時に帝国劇場はなかった。新富座はたしか芝鶴が持主で、又五郎などの一座で興行をつづけてい....
俳優倫理」より 著者:岸田国士
がほぼ想像される。これは今日でも、例えば、日本の演劇の起原を考えてみる場合に、外国劇、支那劇、と或は南洋諸島の原始演劇というようなものの影響が考えられると同時に....
俳優と現代人の生活(対話Ⅴ)」より 著者:岸田国士
、日本人が外国人になる。つまり日本人が外国人にふんする可能性ですね。いままでの外国劇ではそういうことを考えないでやつたやり方がずい分あつた。しかし田村君の場合は....
戯曲復興の兆」より 著者:岸田国士
発な動きを示しだしているのである。 もちろん、まだ、新劇団の多くは、相変らず外国劇の上演によって乏しいレパアトリイを埋めているし、結果から言えば、イプセン、チ....
演劇の様式――総論」より 著者:岸田国士
ものであるが、この手法を特に新しい演劇の実験として用いる場合もある。 翻訳劇 外国劇の翻訳を台本として用いるという意味であるが、この名称は、すこしおかしい。過渡....
アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
照物について、私は老いの繰り言を、こぼさざるを得ないのである。それは東京会館と帝国劇場とである。 この二つの建物は昭和十一年、世界を一周して帰国すると、ただち....
死の接吻」より 著者:小酒井不木
に奉仕することは困難である。その証拠に、ある天才音楽家は新らしい女を妻として、帝国劇場のオーケストラで指揮をして居る最中に俄然卒倒した。招かれた医師は、患者のポ....
小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
士会(北村喜八代読)三田文学(久保田万太郎氏)松竹興業株式会社(井上伊三郎氏)帝国劇場(山本久三郎氏)新劇協会(畑中蓼坡氏)左翼劇場(小野宮吉氏)新思潮社(青江....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
時代おくれの、小芝居廻りの老いたる女役者として、その余生を送るに過ぎなかった。帝国劇場が開かれて、そこに女優という新しい名のおんなたちがたくさん現われてから三年....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
備せり。市外および公園をも車上より一瞥す。当市第一の壮観はやはり劇場なり。わが帝国劇場よりも壮大なるを覚ゆ。 二十日、晴れ。サンパウロより二百二十五マイルを離....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、有楽座にてショウの「馬泥坊」、チェホフの「熊」を上演。 ○三月一、二の両日、帝国劇場は開場式を行い、四日より興行す。狂言は山崎紫紅作「頼朝」と「伊賀越」「羽衣....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ませんが、やはり旧時の記念として、今以て歌舞伎座のような立派な建築物でも、また帝国劇場のような新しいハイカラなものでも、彼らは自らこれを小屋と称しております。こ....
春泥」より 著者:久保田万太郎
十一年。……一がいに茶屋や出方を止そうとなすってみごとおしくじりなすった。――帝国劇場というものが出来て、茶屋も出方もつかわないあたまで西洋式の切符制度というこ....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
にも時代錯誤に近いものを感じない訳には行かなかった。 この表忠碑の後には確か両国劇場という芝居小屋の出来る筈になっていた。現に僕は震災前にも落成しない芝居小屋....