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国史
「国史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国史の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
都は、米国軍のために、爆撃さる―― と、日本国民は、建国二千六百年の、光輝ある
国史の上に、これはまた決して書きたくはない文句を、血と涙と泥を捏ねあわせて、記さ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、文芸方面は頗る振わなかったようです。しかしまた一方には、五代乱離といえどもみな
国史ありといわれていまして、皆それぞれの
国史を残している位ですから、文章まったく....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
た所に、彼の最大の不幸があると思う。恐らく勝利の悲哀を此の男程痛切に味った者は、
国史には尠いのではなかろうか。 正成と正行 楠氏は元来橘氏の出で....
「幸福のうわおいぐつ」より 著者:アンデルセンハンス・クリスチャン
人達とあの話をして興がっていられます。」 *デンマルクの詩人ホルベルのデンマルク
国史物語に、ハンス王が寵臣のオットー ルードとアーサー王君臣の交りについてとんち....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
は決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って
国史館に宣付して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝とい....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
伝』に由ると義実の建立となってるが、寺記には孝謙天皇の御造立となっている。安房は
国史にはかなり古いが、徳川氏が江戸を開く以前は中央首都から遠い辺陲の半島であった....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人考」と....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが頗る多かった。鴎外が董督した改訂|六
国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の恨事でも....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
ぬ。道鏡の天位を覬覦するに至った事が、阿曾麻呂の奏言によって始まったことは勅撰の
国史の明記するところである。したがって彼が真に道鏡に媚びてこれを為したのであった....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
自信に篤き先生の頭を甚だしく刺戟したものであったのである。 余輩は帝大において
国史学科を専攻したとは云え、平素もっぱら文献いじりの方面にのみ没頭して、芸術史方....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
景が――男を飾る危険と荘重の情景が、彼の前に開けてきた。 一家族の境遇が――英
国史には一度ならず現われたことであるが――それが政情を左右した。ウィリアム・セシ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
こと、また京方の諸院が、吉野朝の皇居に軒を並べて御座あったこともあるのは、諸君も
国史を学ばれて充分知っておられるところであるけれども、何といっても大体は吉野が中....
「『火星兵団』の作者の言葉」より 著者:海野十三
ろしいのです。わが日本は、幸いにして、御稜威のもとに、建国二千六百余年の光輝ある
国史をもち、軍人は忠勇無双、銃後国民も亦すこぶるりっぱです。この点ではどこの国に....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
者一国或は十余所に及ぶ。(中略)。昔王化の盛なるや、唐土・三韓の民の来帰する者、
国史記を絶たず。(中略)。其の陋き者は、当時之を諸国に分置し、各自郷をなして土着....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
満州軍の建設には人知れざる甚大な努力が払われた。これに従軍した人々の功績は満州建
国史上に特筆せらるべきものである。しかるに満州軍に対する不信は今日なお時に耳にす....