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国司
「国司〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国司の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
て卜伝流と云った。 門弟一万を越える中、その最も有名なのは足利将軍義輝公、伊勢
国司北畠|具教で、後年柳生但馬守が徳川将軍に教授したのと、天下二師範の名の下に並....
「鎮西八郎」より 著者:楠山正雄
かもしれませんといって訴えました。 天子さまはたいそうおおどろきになり、伊豆の
国司の狩野介茂光というものにたくさんの兵をつけて、二十|余艘の船で大島をお攻めさ....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
ん! 綾麻呂 臣、石ノ上ノ綾麻呂、今、無実無根の讒言を蒙って、平安の都を退下し、
国司となって東国に左遷されんとす。………文麻呂いいか? もう一度、返答だ! 文麻....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
、祖宗以来武をもって国を立て、東「毛人を征する五十五国」とあり。また承和二年陸奥
国司の「解文」に、白河・菊多の関を置きてより今に四百余歳とある文等を玩味するに、....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
によって豪奢を極め、直接音信を京師に通じて院宮・権門・勢家に贈賄し、その威はよく
国司を圧迫して、
国司もこれをいかんともすることが出来ず、隠然一敵国の観をなしたの....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
きの徒であったのである。上人の生れた延喜の頃は地方の政治甚だしく紊乱して、人民は
国司の収歛誅求に堪え兼ね、当時生に安んぜずして自ら公民の資格を放棄し、課役を避け....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
から五六十年後の陽成天皇の元慶年間には、出羽方面において、今の秋田県地方の蝦夷が
国司の悪政を恨んで暴動を起し、
国司も如何ともする事の出来ない程の大騒動となりまし....
「大力物語」より 著者:菊池寛
なものでしなやかで、すこぶる品のよい着物であった。ところがこの郡長がそれを着て、
国司の庁へ行くと、
国司が、それを見て、ほしくなったと見え、「その着物をわしによこ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
富裕な地盤にものをいわせて、無理おしに京都へ押し出てくる。このようにして、地方の
国司から出て太政大臣まで経のぼった平忠盛清盛父子二代のうちの平家の地位の昇り方と....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
しく民夷雑居の境であった。天平の開通を距る約百四十年後の元慶四年において、出羽の
国司はこんなことを上言している。 管諸郡の中、山北の雄勝・平鹿・山本の三郡は、....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ります。「近日は土民・侍の階級を見ざる時なり。非人三党の輩たりといえども、守護・
国司の望をなすべく、左右する能はざるものなり」とある。この土民とは農民で、もとの....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
に潰れてしまって、到る処に新しい大名・小名が蜂起する。非人三党の輩といえども守護
国司の望みをなすべく、如何ともする能わざるものなりとの東大寺尋尊の述懐は、必ずし....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
んぜざる庶民階級の人々は、課役を避けて逃亡するものが多く、盗賊到る処に起っても、
国司にはこれを鎮圧するだけの実力と誠意とがなく、人民は国家に依頼して、その生命財....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
でに、「シャモと沙門」(本誌二巻五号)において簡単に観察しておいたが如く、彼らが
国司の収斂誅求を避けて脱籍した、仮托の沙門(同号一〇頁以下)に起因することのすこ....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
等、各種の小屋者の総称であらねばならぬ。そしてこれら濫僧の中には、平安朝において
国司の虐政の結果として、公民の落伍したもの、及びその子孫以外、前からの浮浪民の子....