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国大名
「国大名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国大名の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
いて五十万|弗を支出せんには三|隻の船を造りこれに水雷を装置して敵に当るべし、西
国大名のごときこれを粉韲を以て三隻の水雷船を造り、以て敵を鏖にすべしなど真に一|....
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
きた。 それは、彼らが江戸を出てから、三年目になる春の頃であった。参勤交代の北
国大名の行列が、二つばかり続いて通ったため、木曾街道の宿々は、近頃になく賑わった....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
揚げた。 黒木を売る大原女の暢びやかな声までが春らしい心を唆った。江戸へ下る西
国大名の行列が、毎日のように都の街々を過ぎた。彼等は三条の旅宿に二三日の逗留をし....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
じた挨拶をしなければならないのであるから、喜んだのは長沢松平家でした。いわゆる西
国大名と名のつく大名だけでも、優に百二三十藩くらいはあるに相違ないのであるから、....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
は一方は直参のお旗下で、とにかく、お上品で三指式に行こうというところへ、一方は西
国大名の中でも荒い評判の鍋島藩中のお国侍、大隈八太郎といって非常な論客で政治に熱....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
それから考えてみると、出雲の阿国《おくに》がしゃなりしゃなりと静かに乗込んで、戦
国大名に涎《よだれ》を流させたのはこのところだ。 須賀口から熱田の方へ行く道に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
めろ、攻めたところで、新築の建前が少々と、新田が少しあるばっかりだ、行こうなら諸
国大名の城下へ行け、三十五万石の彦根へ行け、五十五万五千石の紀州へ行け、大阪へ出....
「四十八人目」より 著者:森田草平
「いえ、それが」と、小平太はちょっと口籠った。「御陪身ではござりますが、さる西
国大名の御家老格……私としては、もはや主人の選り好みはしていられませぬ」 「それ....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
くさり、道義は乱脈だ。いまなら、やれるぞ――と、類をもって集まる浪人どもやら、西
国大名の野心家の家臣なども気脈を通じて、ここにいつか、もっともらしい幕府顛覆の盟....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
る!」と固く信じた。 「あるとすれば――どこの大名であろう? 無論|西国、一体西
国大名は、機さえあれば風雲に動きやすい。島津か、毛利か。いやことによるともっと意....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
のごとく治まっていると思いのほか、いつか西都に皇学の義が盛んに唱えられ、公卿と西
国大名の間に、恐るべき叛逆の密謀が着々として進んでいるというのは、なんとしても彼....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
くる。 近くは、前もって盟約のある京の代表者、徳大寺家の密使をはじめ、加担の西
国大名、筑後の柳川、大洲の加藤、金森、鍋島、そのほかの藩から、それぞれの使者が徳....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
の日に、必ず、堂上二十七家のうちから、グラつきだす者が出て、禁門お味方と称する西
国大名も、素早く旗色を引っこめる。まずそこいらがオチで、後はまた、幾十年かの歳月....