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国府津
「国府津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国府津の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「路上」より 著者:芥川竜之介
辟易《へきえき》した俊助は、今度は全く技巧を捨てて、正面から大井を追窮した。
「
国府津《こうづ》まで。」
「それから?」
「それからすぐに引返した。」
「どうし....
「恋を恋する人」より 著者:国木田独歩
《い》い娘さんでした。」と紳士も打ちながら答える。 「そのお正《しょう》がこの春
国府津へ嫁《かたず》いたのです。」 「それはお目出度い。」 「ところが余りお目出....
「去年」より 著者:伊藤左千夫
出た。むろんすぐに家へは帰られないから、一週間ばかり体を清めるためその夜のうちに
国府津まで行った。宿についても飲むも食うも気が進まず、新聞を見また用意の本など出....
「耽溺」より 著者:岩野泡鳴
一 僕は一夏を
国府津の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであった....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
く、明治時代になって東海道線の汽車が開通するようになっても、まず箱根まで行くには
国府津で汽車に別れる。それから乗合いのガタ馬車にゆられて、小田原を経て湯本に着く....
「香水紳士」より 著者:大阪圭吉
と、クルミさんは、すっかり元気をなくしてしまった。 「今日は、日本晴れですから、
国府津の叔母さんのお家からは、富士さんがとてもよく見られますよ」 お母さんから....
「私の碁」より 著者:坂口安吾
。 尤もこの春ひどく疲れて豊島与志雄さんを訪ねて十番碁をやり常先に打ちこまれ、
国府津で泥酔して尾崎一雄とやって互先に打ちこまれ、勝ったのは村松梢風さんにだけ。....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
としては、これが日本最古のものであろう。 轢死体のあった場所は、昔の東海道線、
国府津と松田の中間。今の下曾我のあたりだ。そのころは下曾我という駅はなかった。今....
「停車場の少女」より 著者:岡本綺堂
春の海が広々とながめられます。わたくし共の若い心はなんとなく浮き立って来ました。
国府津へ着くまでのあいだも、途中の山や川の景色がどんなに私どもの眼や心を楽しませ....
「深夜の電話」より 著者:小酒井不木
よせて、都の塵にまみれた頭脳を洗濯するに役立ちます。 かれこれするうち私たちは
国府津駅に着きました。富士山が白い衣をかついではるか彼方につっ立っております。私....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
ち会うともあります。人目に附くような容体におなりだったのでしょう。年末には大臣は
国府津に避寒に行かれたようです。 翌四十五年の一月五日の新年宴会に賜餐がありま....
「猫と村正」より 著者:小酒井不木
思い出されて、とりとめのない考えにふけっていたのである。 梅雨どきのこととて、
国府津を過ぎる頃は、雨がしきりに降り出して、しとしとと窓を打ち、その音が、私の遣....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
程ヶ谷までも知っていて対手にし手がないもんですから、飛んで、逗子、鎌倉、大磯ね。
国府津辺まで、それまでに荒しゃあがったんでね、二度目に東京を追出てもどこへ行って....
「温泉雑記」より 著者:岡本綺堂
く、明治時代になって東海道線の汽車が開通するようになっても、先ず箱根まで行くには
国府津で汽車に別れる。それから乗合いのガタ馬車にゆられて、小田原を経て湯本に着く....
「機密の魅惑」より 著者:大倉燁子
れたのではないかという疑いがあるので大騒ぎとなり、神戸東京間各駅に手配した結果、
国府津附近に胴体を轢断され即死している婦人を発見、調査の結果宮地(仮名)夫人で夫....