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「国文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

国文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
している雑誌「新思潮」に、一度掲載されたものである。 この期間の自分は、東京帝国文科大学の怠惰なる学生であった。講義は一週間に六七時間しか、聴きに行かない。試....
大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
情熱は小学時代から始まっていた。この情熱を彼に教えたものは父の本箱の底にあった帝国文庫本の水滸伝《すいこでん》だった。頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のも....
路上」より 著者:芥川竜之介
た青年で、『城』同人の中では第一の絵画通と云う評判を荷っていた。これはいつか『帝国文学《ていこくぶんがく》』へ、堂々たる文展《ぶんてん》の批評を書いたので、自然....
二つの手紙」より 著者:芥川竜之介
信一郎《ささきしんいちろう》と申すものでございます。年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居....
軍用鮫」より 著者:海野十三
風に描いてあって、たぶんそれは誌名なのであろうが、“SIN・SEI・NEN”と美国文字がつらねてあった。 「ほう、どうしてこんなものが落ちていたのかな」 博士....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
。硯友社は未だ高等学校内の少年の団体であって世間に顔出ししてなかった。依然として国文及び漢文が文学の中堅として見られていた。 二十五年前には今の日比谷の公園の....
太平洋魔城」より 著者:海野十三
の缶の胴には、一たん白いエナメルをぬりこみ、そのうえに赤黒青のきれいなインキで外国文字を印刷してあるものだったが、白いエナメルの地はところどころはげていて、これ....
浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
何であったか? 見たこともない鼠色の艦艇だ。 そびえ立つその艦橋には、妙な外国文字がついていた。その傍に十三という数字が書きつけてあるのが読めた。 「おお十....
獄中消息」より 著者:大杉栄
見ないか。 『早稲田文学』は小説ばかりだからというので不許になった。こんどは『帝国文学』と『新天地』とを入れて見てくれ。もしできるなら一月頃からのが欲しい。 ....
兄貴のような心持」より 著者:芥川竜之介
寛の外は一人もいない。 まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の芸術に関しては、帝国文学の正月号へ短い評論を書く筈だから、こゝではその方に譲って書かない事にした。....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
おぼえ帳』の一節となった。 上田博士が帰朝してから大学は俄に純文学を振って『帝国文学』を発刊したり近松研究会を創めたりした。緑雨は竹馬の友の万年博士を初め若い....
二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
の内容の空虚な、貧弱な、美くしい文字ばかりを聯べた文学に慊らなかった。それ故に外国文学に対してもまた、十分|渠らの文学に従う意味を理解しつつもなお、東洋文芸に対....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
多く価値するに足らなかったのは少しく鑑賞眼あるものは皆認めた。ましてや偉大なる露国文学の一とわたりを究めた二葉亭が何条肩書に嚇かされよう。世間が『書生気質』や『....
二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
過ぎて何人にも予想出来なかった露西亜の大変動に直面せしめたかった。 二葉亭は露国文化の注入者としては先駆者であった。プーシキンやゴンチャローフやドストエフスキ....
四十年前」より 著者:内田魯庵
相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明治の初期の大ハイカラであった。殊に森は留学時代に日本語廃止論を....