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「国民之友〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

国民之友の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
て小さく結んで南京玉の網を被せたのが一番のハイカラであった。 二十五年前には「国民之友」が漸く生れたばかりで、徳富蘇峰氏が志賀、三宅両氏と共に並称せられた青年....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
てくれたのである。 少年の鶴見は当時の風潮に従って新聞では『読売』、雑誌では『国民之友』を読むことにした。新聞はとにかく、雑誌を毎号手にするということはこれが....
明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
漫されるに到った。そして多くの新聞(中央新聞、報知新聞、二六新聞等)雑誌(太陽、国民之友、文芸倶楽部等)に戦争小説、軍事小説なるものが現れた。江見水蔭、小杉天外....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
のです。兄は洋行から帰った当座は、池の端の花園町におりました。そこで「舞姫」や『国民之友』の夏期附録となった『於母影』などが出来たのです。ちょうど動物園の裏門前....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
それから何年後の事であったか覚えぬが、余は中学を卒業する一年半ばかり前、ふと『国民之友』が初めて夏季附録を出して、露伴の「一|口剣」、美妙斎の「胡蝶」、春の屋....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
若い蘇峰の『国民之友』が思想壇の檜舞台として今の『中央公論』や『改造』よりも重視された頃、春....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
った。徳富蘇峰は『将来之日本』を挈げて故山から上って帝都の論壇に突入し、続いて『国民之友』を創刊して文名隆々天下を圧する勢いがあった。当時の青年は皆その風を望ん....
学究生活五十年」より 著者:津田左右吉
こういうことについて話しあう友人というようなものも有たなかった。ただかねてから『国民之友』とか『日本人』とかいうような雑誌は見ていたし、文学雑誌では鴎外の『しが....