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国民道徳
「国民道徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国民道徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道徳の観念」より 著者:戸坂潤
容の(形式だけのではない)固定化を意味する。この徳目を社会にまで及ぼしたものが、
国民道徳や公民道徳なのである。国民や公民の徳目は云うまでもなく絶対不動な人間性と....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
づけて理解しようとする実践的成心を持っている――信仰の欠乏として性格づけられ、又
国民道徳家によって――彼は人間を常に絶対に国民であることに於て見なければならない....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
かった迄だ。
* 東大倫理学教授和辻哲郎博士(「町人根性」・「日本精神史」・「
国民道徳」・「倫理学」等々がそのテーマ)、広島文理科大学教授西晋一郎博士(「国民....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
者は考えるだろう。マルクス主義は共産主義である、夫は「危険思想」である、それは「
国民道徳」に反する、処がそのマルクス主義の唯物弁証法が吾が物理学の根柢にあろうと....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
息子正行がなければ正成も正行の父ではあり得ないという風に、同格にされて了う。之は
国民道徳から云っても由々しい誤謬であると同じに、論理的に云っても由々しい誤謬なの....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
る文学の最も重大な社会的役割でなければならぬということだ。但しここでいう道徳は、
国民道徳律や倫理道徳のことではなくて、風俗から趣味までも含んだ社会に於ける人間の....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
由はなくなりはしない、とも考えられる。寧ろこの文化的自由を護るためには(そういう
国民道徳か国民的信念を護るためにはだ)政治的不自由こそ現実に必要なのだ、というこ....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
ないのである。そう考えて見れば、黒田嬢の例の決意には、何人も肯かずにはいられない
国民道徳的必然性があるではないか。 ヒトラーは神聖な純正ドイツ人が外国種の人間....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
化することによって、禍は転じて福となるのであり、却って国粋的な軍義的・国防的・な
国民道徳の宣伝教化の絶好のチャンスを提供するものとなる。貧乏な医者は、患者があま....
「最近日本の科学論」より 著者:戸坂潤
あった。平泉氏の思想的な本領は遂にここにはなかったので、元来今日氏が立脚している
国民道徳みたいなものにあったと見える)。自然科学論もまたその頃は、石原純・田辺元....
「再び科学的精神について」より 著者:戸坂潤
学なるものが最後の奥行きの深そうな保塁と思われるからである。国民精神・日本文化・
国民道徳・其の他は、もはやたのむべき武器とはならぬ。一切は教学という根本精神によ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
。時局のために精神主義の名において恋愛を軽視することが、かえって精神を低下させ、
国民道徳の頽廃を招く、というような結果にならないとは限らないと思います。何と言っ....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
所の汚さというものは物凄いものである。こういう環境にとりまかれて平然たる神経が、
国民道徳を論じたって、ツケ焼刃にきまってらア。東京の便所にくらべれば、ストリップ....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
の傾向あるは、実践道徳の上から見てはなはだその当を得ざるものである。それで自分は
国民道徳を力説することになったのである。
国民道徳のことをいうものは明治の初年から....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
せんでしたが、死後、比叡山にこの授戒は行われたのであります。これによっても大師の
国民道徳に心血を注がれた日本仏教家としての特色およびスケールの大きさは充分覗うこ....