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国葬
「国葬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国葬の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「社会時評」より 著者:戸坂潤
りもの政治干渉と解釈されるというようなわけだ。 三、メリケン 東郷元帥の
国葬の夜、アメリカのNBC放送局から、スタンドレー大将の弔辞の後で、「かっぽれ」....
「二つの家を繋ぐ回想」より 著者:宮本百合子
た。 前後して、元老の山縣公が、一般の無感興の裡にじりじりと死滅して、十日が、
国葬であった。為に、確答がないから、繰り合わせてもよいものと思い、林町へ頼み、定....
「日記」より 著者:宮本百合子
た。 自分の貧しい反省にもそれがある。 二月九日(木曜) ◎今日は山縣さんの
国葬で休日。Aと自分、小林さん、上遠からの大工、青山の家で会い、種々たのむ。自分....
「監獄部屋」より 著者:羽志主水
い。 搾り粕の人間の窶《やつ》れ死は、まだまだ幸福な方で、社会―裟婆―で云えば
国葬格だ。未だ搾り切れずに幾分の生気を剰《あま》して居る人間は、苦し紛《まぎ》れ....
「三国志」より 著者:吉川英治
を流さぬはなかったという。 襄陽の東四十里、漢陽の荘麗なる墓所に、故劉表の柩は
国葬された。蔡氏の閥族は、劉※を国主として、これから思うままに政をうごかしたが、....
「三国志」より 著者:吉川英治
粛を大都督に任命した。以後、呉の軍事はすべて、彼の手に委ねられた。 もちろん、
国葬を以て、遺骸は篤く葬られた。国中、喪に服して、哀号の色もまだ拭われないうちに....
「三国志」より 著者:吉川英治
、弔華放鳥、贄の羊、祀りの牛など、蜿蜒洛陽の街をつらぬいた。そしてなおこの盛大な
国葬の式場へは、特に、魏王曹操から奏請した勅使が立って、地下の関羽へ、 「荊王の....
「三国志」より 著者:吉川英治
る。悲しいかな、いまその人は逝く」 勅して、順平侯と諡し、成都郊外の錦屏山に、
国葬をもって厚く祭らしめた。また、その遺子|趙統を、虎賁中郎に封じ、弟の趙広を、....
「三国志」より 著者:吉川英治
は、隆々、勢威を張るにいたった。 延※十四年、魏の嘉平三年。その仲達は歿して、
国葬の大礼をもって厚く祭られ、遺職勲爵は、そのまま息子の司馬師が継いだ。 とこ....