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国長
「国長〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
国長の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
読していたが、心細いことになっているのだよ。講談|倶楽部《クラブ》の新年附録、全
国長者番附を見たが、僕の家も、君の家も、きれいに姿を消して居る。いやだね。君の家....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
もの)。朱地に黒く武田菱を三つ染め出した本陣の旗。先祖代々の古文と古書。二尺六寸
国長の刀。二尺五寸景光の刀。五寸五分倫光の短刀。三日月正宗。郷義弘。国次の刀。左....
「台湾の姿態」より 著者:豊島与志雄
ろに聳えてる丘の上に、淡水中学が建っている。その建物の主屋は、前世紀の終り頃、英
国長老教会マッカイ博士が布教をかねて建造したものであるが、亭子脚を具えた廊下、窓....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
国丸《くにまる》(文政年間歿、年三十余)国安《くにやす》(天保七年歿、年三十余)
国長《くになが》(文政中歿、年四十三)国直《くになお》(安政元年歿、年六十二)等....
「三国志」より 著者:吉川英治
月、こんどは彼が主人になって、劉璋を招待することにきめた。 「長夜の宴」とか「酒
国長春」とかいうことばは、みな支那のものである。この民族の歴史ほど宴楽に始まって....
「三国志」より 著者:吉川英治
に較べると、はるかに遠く出て、中原へ突出している。 しかも、ここまで来ると、敵
国長安の府も潼関も、また都|洛陽も、一|鞭すでに指呼のうちだ。 (このたびこそ、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
僧では、聖護院ノ法印玄基。ほか数名。 また武士側は、足助次郎|重成、多治見
国長、土岐左近頼兼などの十数人。 さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じって....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
享保四年の「弾左衛門書上」(「江都官鑰秘抄」引)にも、「禁中様御召|藺金剛、大和
国長吏指上、御扶持代物にて頂戴仕候。並、御花砌之掃除、長吏小法師と申者八人にて相....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
比し、はては自ら上行菩薩を以てまでも任じておられるのである。またその郷里たる安房
国長狭郡東条郷を以て、「天照大神の御厨、右大将家の立て給いし日本第二のみくりや、....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
、三界万霊に回向する。いずれ葬式の世話をする三昧聖の徒であったと解せられる。「三
国長吏由来記」と称する弾左衛門家の記録によると、空也上人が牢舎の囚人二十一人を申....