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土山
「土山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
土山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「あらくれ」より 著者:徳田秋声
の寂しさが感ぜられた。
浴場の窓からは、草の根から水のちびちびしみ出している赭
土山《あかつちやま》が侘《わび》しげに見られ、檐端《のきば》はずれに枝を差交《さ....
「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
ある力強いものがあるんだが、まあ君は女だからね」 小唄に残っている間《あい》の
土山《つちやま》へひょっこり出る。屋根附の中風薬の金看板なぞ見える小さな町だが、....
「三狂人」より 著者:大阪圭吉
一 赤沢医師の経営する私立脳病院は、M市の郊外に近い小高い赭
土山の上にこんもりした雑木林を背景に、火葬場へ行く道路を見下すようにして立ってい....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
ヶ岳に登り南駒ヶ岳まで縦走し飯島へ下山、八月中頃には材木坂を登って室堂にいたり浄
土山、雄山、大汝峰、別山と縦走し劔岳を極め長次郎谷を下り小黒部を経て鐘釣温泉へ下....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
黙って、丹三郎の起床を待った。 丹三郎の不仕鱈には限りが無かった。草津、水口、
土山を過ぎ、鈴鹿峠にさしかかった時には、もう歩けぬとわめき出した。もとから乗馬は....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
ルプスの美を、知覚的に讃美したのは、スイスの農夫でなくて、旅人であった如くに、富
土山もそうであった。「天地のわかれし時ゆ、神さびて」と歌った山辺赤人は旅人であっ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
次郎氏山本権兵衛氏、大村藩では岩崎小次郎氏、肥前藩では松田正久氏中島盛有氏(当時
土山藤次郎)、土州では谷新助氏奥宮正治氏、中村藩では相馬永胤氏、久留米藩では高橋....
「淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
うである。 朝はやく釜山駅をたつと我らは、すぐ窓からそとの景色に顔を向けた。赤
土山に、松の木がまばらに生えているという話は聞いていたから、それは別段珍しくはな....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
下さる時、いつもお参りになりました。お祖父様は江戸からお国へお帰りの途中、近江の
土山の宿でお亡くなりになって、その地へお埋めしたのですから、お国のはもっと古い仏....
「瓜の涙」より 著者:泉鏡花
なのが一面、青麦に菜を添え、紫雲英を畔に敷いている。……真向うは、この辺一帯に赤
土山の兀げた中に、ひとり薄萌黄に包まれた、土佐絵に似た峰である。 と、この一廓....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
いた。 風すかしに細く開いた琴柱窓の一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤
土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越の山の根に、きらきらと一面の姿見の光....
「枯尾花」より 著者:関根黙庵
ぼりのさめた頃京都市を脱出して、大津まで来た時何か変な事があったが、それを耐えて
土山宿まで漸く落延び、同所の大野家と云う旅宿屋へ泊ると、下女が三人前の膳を持出し....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
の残雪を有していて、蒲原の平野も日本海も脚下に開展している、快晴の日には佐渡も富
土山も認めることが出来るそうである、この山上の大観は吾が北越の諸山に比較すると、....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
裕を示しているのである。河野清実君の報告(考古学雑誌五巻十一号)によれば、豊後灰
土山古墳の如きは、幅僅かに一尺一寸二分ないし九寸五分の狭い石室中に、二人分の骨が....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
の必需品を購わしめ、吾等は悠々|山巓を南に伝いて、午後二時、雄山。三時二十分、浄
土山最高点、此処にて長次郎等を待つこと二時間の後、五時三十分、浄
土山の西側草原の....