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「土州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

土州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
幽霊の自筆」より 著者:田中貢太郎
い背の高い男が船頭の前で穏かに云った。 「船幽霊でなけりゃ、何んじゃ」 「俺は、土州安芸|郡《ごおり》崎の浜の孫八と云う船頭じゃ、あと月の廿日の晩、この傍を通っ....
近時政論考」より 著者:陸羯南
|倥偬の際に、矯激の建白書を捧げ、平和の手段をもって暗に薩州の叛軍に応じたるかの土州民権論者は、大久保参議の薨去を見てふたたびその気焔を吐き、処々の有志者を促し....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
膝をこごめて、最上級の敬語と共に呼びかけました。 「源七郎|君におわしまするか。土州にござります。いつもながら御健勝に渡らせられまして、恐悦に存じまする……」 ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
公役の往来は、それからも続きに続いた。尾張藩主の通行ほど大がかりではないまでも、土州、雲州、讃州などの諸大名は西から。長崎奉行|永井岩之丞の一行は東から。五月の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
蔵は初めて王政復古の成り立ったことを知り、岩倉公を中心にする小御所の会議には薩州土州芸州越前四藩のほかに尾張も参加したことを知った。その時になると、長州藩主父子....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の報知である。その乗組員はボートを出して堺の港内を遊び回っていたところ、にわかに土州兵のために岸から狙撃されたとのことであるが、旭茶屋方面から走って来るものの注....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
はなかった。戦争が長引けば長引くほど山の中にはいろいろなことを言う者が出て来て、土州因州あたりは旧士族ばかりでなく一般の人々の気受けも薩摩の捷報をよろこぶ色があ....
縮図」より 著者:徳田秋声
していれば沢山じゃないか。」 そのころ銀子は、箱崎町の本宅へ還る若林を送って、土州橋の交番の辺まで歩き、大抵そこで別れることにしていたが、交番の巡査も若林を見....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
応三年の十月で、この時は既に薩長へ向って討幕の内勅が下っていた時である。間もなく土州の山内容堂公は後藤、福岡等を以て慶喜将軍に大政奉還を勧めらるることになって、....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
なった事がありました。奥山見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院の庭で、土州山内容堂公の持っていられた眼鏡で、普仏戦争の五十枚続きの油画を覗かしたのでし....
丹下左膳」より 著者:林不忘
ことをいう。 「定《き》めですから、おウ、尾州《びしゅう》に因州《いんしゅう》、土州《としゅう》に信州《しんしゅう》、早籠《はや》二梃だ。いってやんねえ」 ノ....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
て、柱の影を、畳へ長く引いていた。 「板垣退助が参謀となり、岩倉具定を総督とし、土州、因州、薩州の兵三千、大砲二十門を引いて、東山道軍と称し、木曾路から諏訪へ這....
南国太平記」より 著者:直木三十五
白く閃くものが、顔から、二三尺のところにあった。池上は立上った。 「弱ったな、土州」 「やっつけるか」 と、人足が、叫んでいるのを、聞きながら、池上は、左右....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
《ごふくばしきたまちぶぎょうしょ》、曲淵甲斐守《まがりぶちかいのかみ》のお手先、土州屋伝兵衛《としゅうやでんべえ》。神田|鍋町《なべちょう》の氏子総代で麻上下に....
水面に浮んだ女」より 著者:田中貢太郎
へ坐った。 「この加賀へやって来たものの、どうも思わしい仕官の口がないから、私は土州の方へ往こうと思う、土州には、深尾主人殿が、山内家の家老をしておるし、主人殿....