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土師
「土師〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
土師の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
芸の機運が漸く動き始めたと云っていいと思うのである。そこで、長谷川伸、平山蘆江、
土師《はじ》清二、村松梢風、大佛次郎、吉川英治等が続々と新らしい大衆文芸を提供し....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
そ別れを急げ鳥のねの、聞えぬ里の暁もがな」(『和漢三才図会』七五)、これよりこの
土師《はじ》の里に鶏鳴かず、羽敲《はばた》きもせぬ由、『菅原伝授鑑《すがわらでん....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
んと欲するものを頑にし、順にせんと欲するものを順にす」といっている。あたかも「陶
土師は陶土をもて、ある器は尊くある器は卑しく作るがごとくに」被造物としての人間に....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
本尊が祭られてあった所です。縁起をいうと、その昔、隅田川をまだ宮戸川といった頃、
土師臣中知といえる人、家来の檜熊の浜成竹成という両人の者を従え、この大河に網打ち....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
は、我が古代の社会状態を知る上において、既に本誌上において手をつけている俗法師や
土師部とともに、(既に本誌三巻五号において述べた如く)我が古代特殊民構成の三大要....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
自分は遺物遺蹟の研究上、国栖人を以て、やはり隼人や、肥人や、出雲民族や、海部・
土師部などと言われたものと同じく、石器時代から弥生式土器を使った、先住土着の一民....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
きに「民族と歴史」を発行した当時、その第一巻第一号(大正八年一月)に、「駆使部と
土師部」と題して簡単に説き及んでおいたことであったが、その後に阿波の田所市太君は....
「古事記」より 著者:太安万侶
の中にあります。 またその皇后ヒバス姫の命の時に、石棺作りをお定めになり、また
土師部《はにしべ》をお定めになりました。この皇后は狹木《さき》の寺間《てらま》の....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
臣・納言をまで出した菅原氏・大江氏の如きも、もし中頃その職業を改めずして、祖先の
土師氏の時のままに、いつまでも葬儀を掌る家であったならば、いつの間にか夙の頭にさ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
いは※房をハチと呼ぶところがあった。山陰地方に鉢屋と呼ばれたものもやはりハチで、
土師の義であると解せられる。ハチはハシの転で、すなわちハシヒトの義である。彼らは....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
殊民に形をかえ、子孫を後世に遺したものに相違ない。そして他の道筋から来た傀儡子や
土師部の徒が、またこれらと流れあって、その他の雑多の落伍者らをも一つにして、その....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
に「間人」と書いて、「マヒト」または「ハシヒト」というのがあります。ハシヒトは「
土師人」の義で、土器を焼いたり、葬儀の事にあずかったりしたものの名称ですが、それ....