土肥[語句情報] »
土肥
「土肥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
土肥の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「松江印象記」より 著者:芥川竜之介
なければならないと思っている。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長
土肥《さっちょうどひ》の足軽《あしがる》輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術....
「春の潮」より 著者:伊藤左千夫
しようがないやつだなあ」 こう一言言ったきり、相変らず夜は縄をない昼は山刈りと
土肥作りとに側目も振らない。弟を深田へ縁づけたということをたいへん見栄に思ってた....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
六 湯河原の温泉は、相州足柄下郡|宮上村と申す処にございまして、当今は
土肥次郎實平の出た処というので
土肥村と改まりまして、城堀村にある實平の城山は、真....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
報を待つという物々しさに満たされて来た。名古屋と京都との往来も頻繁になって、薩長
土肥等の諸藩と事を京畿に共にしようとする金鉄組の諸士らは進み、佐幕派として有力な....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
居た。余は熟々とハムレットの顔を見た。成程違わぬ。舞台のハムレットには、幼な顔の
土肥君が残って居る。
土肥君は余の同郷、小学校の同窓である。色の浅黒い、顋の四....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
想の行きづまりに発生する徒花であり、その魅惑は、思想の新しい進展と誕生とのため廃
土肥料となるのでない限り、文化の自殺に他ならぬ。文化の生命は認識と思想とにある。....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
の偶然事は残念ながらこの物語りをあまり面白く展開させるには至らなかった。関東軍の
土肥原少将の中国側の秦徳純氏との間の誠意ある会見によって、一、宋哲元氏はチャハル....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
然事は、残念ながらこの××××をあまり面白く展開させるには到らなかった。関東軍の
土肥原少将と中国側の秦徳純氏との間の誠意ある会見によって、一、宋哲元氏はチャハル....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
らくはたまの緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢の如 (巻十四・三三五八) 足柄の
土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに児ろが言はなくに (同・三三六八) 入間道の....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
っしゃればかまいませんよ、御やすい事です」と申したので正時はそれならばと腰の物を
土肥の次郎にあずけて三位の中将殿に御目にかかる。「オ、そこに居るのは正時か、是へ....
「影」より 著者:岡本綺堂
でしょう。 旅人 湯河原……。知っています。 重兵衛 その温泉場から遠くない、
土肥の杉山という所です。頼朝が隠れたという大杉が先頃まで残っていましたが、今はも....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
頭としたる文芸協会は、二月十七日の夜、芝公園の紅葉館において第一回の試演を催す。
土肥春曙、東儀鉄笛、水口薇陽ら出演。狂言は新作の「妹背山」と「孤城落月」の糒蔵。....
「頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
。その一行には、左馬権介、結城七郎、千葉平兵衛尉、葛西十郎、筑後六郎、和田三郎、
土肥先二郎、佐原太郎、多多良四郎、長井太郎、宇佐美三郎、佐佐木小三郎、南条平次、....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
の長生館の建物は、その以前清風亭という貸席になっていて、坪内先生を中心に、東儀、
土肥、水口などの諸氏が脚本の朗読や実演の稽古などをやって、後の文芸協会の基を作っ....