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在地
「在地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
在地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文章」より 著者:芥川竜之介
のために書いたものだった。これも木村大尉その人とは毎日同じ避暑地からこの学校の所
在地へ汽車の往復を共にしていたため、素直に哀悼《あいとう》の情を表することが出来....
「地球発狂事件」より 著者:海野十三
ことだね」 と別の記者が口をはさんだ。 「いや、それよりはワーナー博士一行の所
在地へ飛び込むことだ」 「それは出来ないんじゃないか。まさか、大西洋の海底まで下....
「水害雑録」より 著者:伊藤左千夫
来た。この間の日の暮れない内に牽いてしまわねばならない。人々は勢い込んで乳牛の所
在地へ集った。 用意はできた。この上は鉄道員の許諾を得、少しの間線路を通行させ....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
へ出掛ける貴女とよりは、浅間の社へ御代参の御守殿という風があった。 車は病院所
在地の横田の方から、この田畝を越して、城の裏通りを走ったが、突かけ若竹座へは行く....
「とむらい機関車」より 著者:大阪圭吉
発見されたんです。B駅と言うのは、多分御承知の事とは思いますが、県立農蚕学校の所
在地として知られた同じ名の一寸した町にありましてな、その町の近郊の農家では副業と....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
学校は、東京に中央幼年学校というのがあって、そして当時の六個師団の各師団司令部所
在地に地方幼年学校というのがあった。中央は本科で地方は予科だ。ある師団、たとえば....
「金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
復一が研究生として入った水産試験所は関西の大きな湖の岸にあった。Oという県庁所
在地の市は夕飯後の適宜な散歩|距離だった。 試験所前の曲ものや折箱を拵える手工....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
暇なので、越後は生来好きであった酒にいよいよ耽ったが、彼はよく勉強もした。彼は駐
在地の在留民と平民的に交際ったので、その方の評判はよかった。国際外交上では極地の....
「売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
ので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所
在地まで徒歩するのが習であったが、五日も七日もこう降り続くと、どこの道もまるで泥....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
り、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所
在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確か....
「怪異暗闇祭」より 著者:江見水蔭
里。夕方前に小机源八郎は着いた。 府中はいまさら説くまでもなく、古昔の国府の所
在地で、六所明神は府中の惣社。字は禄所が正しいという説もあるが、本社祭神は大己貴....
「小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
むかしは土地全体を姫山と称していたのを、慶長以後には土地の名を姫路といい、城の所
在地のみを姫山ということになったのである――に隠れて世を終わったので、それを祭っ....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
歳から十八歳に至る頃であった。その当時、府立の一中は築地の河岸、今日の東京劇場所
在地に移っていたので、麹町に住んでいる私は毎日この堀ばたを往来しなければならなか....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
至る。海抜二千尺の高地にあり、アプト式にて山を登る。二時間を要す。各国外交官の駐
在地にして、日本公使館もここにあり。藤田代理公使の歓迎をかたじけのうし、日本料理....
「心霊の抱く金塊」より 著者:大倉燁子
、時機を待っているうちに、死んでしまったのだ。 三百何十年この方、その金塊の所
在地を人知れず研究した者は沢山ある。中途で匙を投げた人もあるけれど、今日までに探....