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「在留〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

在留の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
麓山寺《ろくざんじ》や愛晩亭を見物に出かけた。 僕等を乗せたモオタア・ボオトは在留日本人の「中の島」と呼ぶ三角洲《さんかくす》を左にしながら、二時前後の湘江を....
或る女」より 著者:有島武郎
かにも絶望的な調子でいったが、その目はすでに笑っていた。サンフランシスコの領事が在留日本人の企業に対して全然冷淡で盲目であるという事、日本人間に嫉視《しっし》が....
新生」より 著者:島崎藤村
だち》に外国人の中に入って見ようとした程の彼は、巴里に来た最初の間なるべく同胞の在留者から離れていようとした。外国へ来て日本人同志そう一つところへ集ってしまって....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
気が、渦を巻いていた。 わが日本の上海駐在の総領事惨殺事件と、そのあとに続いた在留邦人の復讐事件とは、一と先ずお互の官憲の手によって鎮まった。だがそれは無論、....
母子叙情」より 著者:岡本かの子
で、越後は生来好きであった酒にいよいよ耽ったが、彼はよく勉強もした。彼は駐在地の在留民と平民的に交際ったので、その方の評判はよかった。国際外交上では極地の果に等....
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
と、蒋介石の北伐遂行の噂は、彼女が内地へ着いた頃から、日々、頻ぱんになって来た。在留邦人達の北伐に対する関心は、幾年かを費して、拵え上げた財産や、飾りつけた家や....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ぞにとって、これは見のがせない機会だった。 だんだん様子がわかって来た。神奈川在留の西洋人は諸国領事から書記まで入れて、およそ四十人は来ていることがわかった。....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
que andan en los reynos de Iapon"と云い、日本に在留したザビール初めアルメイダ、フェルナンデス、アコスタ等エズイット派の僧侶が本....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
実在を信じてのことであった。元治二年(一八六五年)に大浦天主堂が落成した。これは在留の外国人のためのもので、日本人に伝道しては相成らんという約束のものであったが....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
のことに就いて、マニラ総督より抗議の使者が来るや「治外法権の設定なき以上、各国の在留人は、日本の法律に従うべきである」と突刎ね、あくまで強硬外交の実を示した。 ....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
へ突飛ばし、四の五のいわさず拘引して留置|檻へ投げ込んでしまった。徳永店員を初め在留日本人はこの報を得て喫驚し、重立つものが数人警察署へ出頭して嘆願し、二葉亭が....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
れはよい都合であるからどうか紹介状を下さらぬか」と頼んで紹介状を貰い、八月二日に在留日本人に送られてカルカッタより汽車に乗って北に向い広大なる恒河を汽船にて横ぎ....
西航日録」より 著者:井上円了
るを得ず。たとい表面乞食ならざるも、裏面はたいていみな乞食なり。余、これをインド在留の人に聞く。故なくして人に物を請うは、上下一般の風習にして、巨万の財を有する....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
帳」二番目リットンの翻案「人間万事金世中」、大入りにて、六十余日を打ち続け、京浜在留の外国人より、引幕を贈りて総見物あり。 ○五月八日、初代市川女寅死す、二十八....
機密の魅惑」より 著者:大倉燁子
疲れてしまいました。 こんどの任地では徹頭徹尾失敗です。夫の愛は彼女に奪われ、在留民からは異端者のように白い眼で睨まれ、私のすることは、善かれ悪しかれ悪評の種....