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「地相〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

地相の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
芝居興行を許されていた。勿論、丸太に筵張りの観世物小屋同様のものであるが、その土地相応に繁昌していたのである。鳳閣寺の宮芝居は坂東小三という女役者の一座で、ここ....
石狩川」より 著者:本庄陸男
大野順平はにたりと笑っただけであった。 そして、彼らは、歩幅と綱によって測った地相を書きこんで行った。出来あがった見取図には主君の館《やかた》がひとりでに中心....
十二支考」より 著者:南方熊楠
く入ったので、かかる寒地によく繁殖したは、その時々野馬や野驢の諸種と混合して、土地相応の良種を生じたに依るだろう。学者の唱うるところ、家驢の原種は、今もアフリカ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
丸あたりにあたるというじゃないか。そうしてみると、やっぱり天然に、大将のおるべき地相か何かが存在していたものかも知れない」 「いずれ、名将や、名城が出現するくら....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
王となるよりも、山科の地主でありたい、そんなような愛着を、お銀様が山科そのものの地相に持ち得られたということが、即ち山科を軽蔑し易《やす》からずとする所以なので....
異妖編」より 著者:岡本綺堂
ので、女房は薄い着物の袖をかきあわせながら路を急いだ。 一|時か半時前までは土地相応に賑わっていたらしい草市のあとも、人ひとり通らないほどに静まっていた。女房....
迷信解」より 著者:井上円了
はできぬ。 人相よりは一層広く世間に用いらるるものは家相である。家相に関連して地相も考うることになりおるが、宅地、住居が人の健康、衛生に関係あることは、学理の....
平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
って、大湯と橡尾又の二温泉があるから、他所から這入る人の過半は遊びに行くので、土地相応の贅沢はすることになる、随って土着の人には他所から来て少しでも知られている....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
初め原士のすべてが、たむろをしていた草原で、わざとそこへ走ったのは、なお闘うべく地相を選みなおしたものか。 かれが平地へ立ちなおったのをみると、草原の隅に身を....
三国志」より 著者:吉川英治
」――と。 曹操は、答えていう。 「いや、べつだんな事でもない。今このあたりの地相を見て、ひとえに周瑜の浅才や、孔明の未熟が分ったから、ついおかしくなったのだ....
三国志」より 著者:吉川英治
をひかえて、要路は鹿垣をむすび、搦手は谷あり山あり深林ありして鳥も翔け難いほどな地相である。 「いま徐晃は勝ちに乗って、急激な前進をつづけ、彼方の山まで来ておる....
私本太平記」より 著者:吉川英治
がおこされていた。――いらい、昼夜のけじめもなく急がれた“城づくり”なのである。地相の選びも、 「ここよりない」 と、一日できめ、縄取りや、壕塁の構想なども、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
〕 毎日毎日、雲の中に聞えるとどろな山鳴りは、すなわちこの砦造りのためだった。地相は、ひと目にも、 不落の嶮 と、うなずかれる。 ここに、正成はいつのま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
「かつは、この名和ノ荘といい、名和の館と申せ、平野の小丘です。楯、櫓を布くによい地相ではありませぬ。――しかしまだ、みかどがお船にあるこそ良けれ、日暮れを待って....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
は援軍だった。なぜ義貞自身が会下山に拠らなかったか。会下山こそは、総本陣たるべき地相である。これはおかしい。 すべて、官軍方の布陣は、地勢からみても、もう負け....