»
址
「址〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
址の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
思い入った調子で、下手《へた》な字体で書いてあった。葉子は忘却《ぼうきゃく》の廃
址《はいし》の中から、生々《なまなま》とした少年の大理石像を掘りあてた人のように....
「雪中富士登山記」より 著者:小島烏水
石は転び次第、雲は飛び放題、風は吹き荒《すさ》ぶなりに任せて、自然はその独創の廃
址《ルイン》を作りながら、かつこれを保護しているであろう、今という今「古い家」を....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
要害|鼻に城を築いた。現在連絡船で厳島へ渡ると、その船着場の後の小高い山がこの城
址である。城は弘治元年六月頃に完成した。 すると元就は家来達に対して、「お前達....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
ででもないと上下は難しかろう――其処を通抜けて、北上川、衣河、名にしおう、高館の
址を望む、三方見晴しの処(ここに四阿が立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
る。雲のごときは前途の山、煙のようなは、市中の最高処にあって、ここにも見らるる城
址の森である。名にし負う神通二百八間の橋を、真中頃から吹断って、隣国の方へ山道を....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
白妙の衣ほしたり天の香具山 〔巻一・二八〕 持統天皇 持統天皇の御製で、藤原宮
址は現在高市郡|鴨公村大字高殿小学校隣接の伝説地土壇を中心とする敷地であろうか。....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
は昔の図面通りに今もその姿を知ることができる。 しかし一番おどろくべきことは城
址で、建物と石垣はないが、形はそっくり往時のままといってよい。 籠城の百姓軍が....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
近くの湯野浜海岸はもちろんのこと、遠く鳥海山の裾が日本海へ没する吹浦や有耶無耶関
址のあたりまで繰りだして祖先の練武にあやかるのであるという。 こんな次第で、い....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
れらの眼に入らなかった。 白旗山はかの姫山と同じく、赤松の一族が楯籠っていた城
址である。将軍義教を弑した赤松満祐はこの城に籠って都の討っ手を引き受けたのである....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
事だ。もと当山別当神護寺の盛んであった頃には、山内に三十六坊あったと云う。現に寺
址と思われるものも多く、そして大段坊の外にも円戒坊、十善坊など云う名も伝わってい....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
その妄想に過ぎざる所以を明らかにせんと試みたのであった。かくてこの年十二月平城京
址調査の目的を以て奈良市に出張した際に、北畠男爵から招致せられて猛烈なるお目玉を....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
チャシすなわち彼らの拠って敵を防いだ所とか、竪穴すなわち彼らの穴住居していた穴の
址とかいうものもそうでありますが、一番目につくのは石器時代の遺物遺蹟であります。....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ドとチベットとの境のニャートンという所からほぼ二十マイル程手前の山の上に、その城
址すなわち平地と少しばかりの石垣が残って居るです。ネーチュンなる神下しが城を建て....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
りそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺蹟金沢柵
址を、雪の中に見てまわるも面白かろう。ついでに久しくお目にかからぬ紫水生深沢多市....
「茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
後零時――四時)で、富士山を図案化した赤色の壱銭五厘切手の貼ってある、「石見国府
址伊甘の池」の絵葉書であり、他の一通は、昭和十五年の七月十一日(午後零時――四時....