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坂東武者
「坂東武者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
坂東武者の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
そう存じたら、念を入れて仕まつれ」と、家来は直垂《ひたたれ》の袖で鼻をこすった。
坂東武者も初の上洛に錦を飾って来たとみえて、その直垂には藍の匂いがまだ新しいよう....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
》む幕臣だが、近藤、土方は、今いう通り幕府に養われた家の子ではないのだが、古来の
坂東武者の面影は、寧《むし》ろああいうところに見る。本当に強い奴は旗本にはいない....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
恩を施すともいえる」 「…………」 「宇都宮公綱は律義者じゃ。義に厚く情に脆い。
坂東武者の典型でもあろうよ。ただ不幸にして順逆の道を誤り、今こそ朝家に弓引いてお....
「平家蟹」より 著者:岡本綺堂
い。世にたよりない我々姉妹、この末ともにかならず見捨てて下さりまするな。 与五郎
坂東武者は弓矢ばかりか、なさけにかけても意地は強い。一度誓いしことばの末は、尽未....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
かった。相手があくまでも情ないほど、師直の恋はいよいよ募って、色黒く骨たくましい
坂東武者もこの頃は恋い死なぬばかりに思いわずろうている。この病いは和丹両家の典薬....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
実と、ともに東国武士の比にあらざりき。『源平盛衰記』に斎藤別当実盛の言を記して、
坂東武者の習とて、父が死せばとて子も引かず、子が討たるればとて親も退かず、死ぬる....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
点において相違がありました。源平合戦の時に、斎藤別当実盛が、両者を比較しまして、
坂東武者のならひとて、父が死せばとて子も引かず、子が討たるればとて、親も退かず、....
「法然行伝」より 著者:中里介山
或時法然が月輪殿へまいった処、熊谷入道がお伴をして行った。法然はこの荒っぽい
坂東武者を連れて行き度くはなかったのだけれども、連れて行かなければまた文句が煩さ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
しにはならない。このさい、救うにためらいを示していたら、義貞の威信はなくなろう。
坂東武者というやつは、元来がそういうところで自己を託している人間の将器というもの....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
のでしょう。とすれば、帝の御脱出も、ただの風説ではありますまい」 この貞満は、
坂東武者の典型ともいえるような、一徹短慮な男だった。で、猶予はならずと言い、「―....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
いが、しかし進駐軍の示威でもあるから、それは華麗を極めた武者行列でもあったろう。
坂東武者とはどんな人種か、九郎義経とはどんな男か、といったような好奇心もあって、....