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「坪内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

坪内の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
子供は一円五十銭にて買い来りし紙鳶をあげてよろこびしが、遂に自作を始めたり。 ◯坪内和夫君年始に第一の客として入来。 ◯楽ちゃんも年始に。 ◯夜子供のため、凧に....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
君はこの年の四月、演劇研究のために洋行した。文芸協会はこの年の十一月、歌舞伎座で坪内逍遥博士の「桐一葉」を上演した。 若葉会は更に東京毎日新聞社演劇会と変って....
真田幸村」より 著者:菊池寛
か。なお、これは余談だが、大阪方についた譜代の臣の中で片桐且元など殊にいけない。坪内逍遙博士の『桐一葉』など見ると、且元という人物は極めて深謀遠慮の士で、秀吉亡....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧|旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に対する世人の見解を多少新たにしたが、文人其者を見る....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
頃のことである。が、作は随分沢山出たが、傑作は殆んどなかった。その折に出たのが、坪内逍遥氏の『書生気質』であった。この書物はいままでの書物とはくらべものにならぬ....
正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
志の者が声も立てずズラリと居流れて居ます。戸次与左衛門、四宮隼人、永井兵左衛門、坪内作馬、石橋源右衛門、鵜野九郎右衛門、桜井三右衛門、有竹作左衛門、これらの輩は....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
。渠らの人物がどうのこうのというよりはドダイ小説や戯曲を尊重する気がしなかった。坪内逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
十三円八十銭――大阪側の反感――一種の弊害――中啓一本三円五十銭 その頃の戯曲界坪内博士の新史劇――戯曲は雑誌でもお断わり――新作「悪源太」――不入の間――新作....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
、駒込の菩提所で告別式を行った。緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知己なる坪内博士も参列し、緑雨の最も莫逆を許した幸田露伴が最も悲痛なる祭文を読んだ。丁度....
二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
想が何時まで経っても頭脳の隅のドコかにこびり着いていて容易に抜け切れないものだ。坪内博士がイブセンにもショオにもストリンドベルヒにも如何なるものにも少しも影響さ....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
二葉亭の歿後、坪内、西本両氏と謀って故人の語学校時代の友人及び故人と多少の交誼ある文壇諸名家の....
二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
代から国士を任じていた。当時の青年が政治に志ざしたのは皆国士を標的としたからで、坪内博士の如く初めから劇や小説を生涯の仕事とする決心で起ったものは異数であった。....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
坪内君の功労は誰でも知ってる。何も特にいわんでも解ってる。明治の文学の最も偉大な....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
阿弥作の「弁天小僧」を無断上演して、作者の遺子吉村いと女より告訴せらる。裁判所は坪内逍遥博士に鑑定を命じ、結局原告の勝訴となる。 ○一月、菊五郎は病気のために、....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
の頃のことだった。 その長生館の建物は、その以前清風亭という貸席になっていて、坪内先生を中心に、東儀、土肥、水口などの諸氏が脚本の朗読や実演の稽古などをやって....