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坪内逍遥
「坪内逍遥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
坪内逍遥の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
君はこの年の四月、演劇研究のために洋行した。文芸協会はこの年の十一月、歌舞伎座で
坪内逍遥博士の「桐一葉」を上演した。 若葉会は更に東京毎日新聞社演劇会と変って....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
残の太刀風」の題下に翻訳されたのであった。その他主なるものの数種を挙げるならば、
坪内逍遥訳、リットン「開巻悲憤概世士伝」、関直彦「春鶯囀《しゅんおうてん》」、井....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
したという失恋から、一時狂的の行為もあったが、再び心を静めて専門に文学を研究して
坪内逍遥氏などにも愛せられていたのであるが、余りに抱負が高尚で卒業の論文を書いて....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
頃のことである。が、作は随分沢山出たが、傑作は殆んどなかった。その折に出たのが、
坪内逍遥氏の『書生気質』であった。この書物はいままでの書物とはくらべものにならぬ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
とをする、と云って友人たちから甚しく蔑みをうけたが、たった一人かばってくれたのが
坪内逍遥だったそうだ。しかし彼が有能な人材であったがために、この奇怪きわまる謎の....
「図書館の未来像」より 著者:中井正一
三棟の土蔵にみちみちた明暦以来の大集書が、大衆サービスの前に整理され、その中から
坪内逍遥などが生まれたことなどは、明治図書館への発達史上注目すべきである。惜しく....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
て登りし人――とあるわ。」 と、読みだした。 「頂上十二階までが、春のや主人――
坪内逍遥《つぼうちしょうよう》よ。それから、森鴎外、森田|思軒《しけん》、依田学....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
た鮒のようなものでどうしていいんだか判らなかった。関根|正直氏の『小説史稿』や、
坪内逍遥氏の『小説神髄』や『書生気質』や『妹背鏡』や、森鴎外氏の『埋木』やそんな....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
。渠らの人物がどうのこうのというよりはドダイ小説や戯曲を尊重する気がしなかった。
坪内逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
形になったが、そのあいだで鋭意に真摯に、劇の革新と向上とに努力をつづけていたのは
坪内逍遥博士で、博士は『早稲田文学』をその本拠として、絶えず指導的の論評を試みて....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
遑もなくて、一図に血気に任して意地を貫いてしまった。 あたかもその頃であった。
坪内逍遥の処女作『書生気質』が発行されて文学士|春廼舎朧の名が俄に隆々として高く....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
劇に対する改革刷新の運動も既に久しきものとなりぬ。明治二十九年の末に出版せられし
坪内逍遥《つぼうちしょうよう》氏が『梨園《りえん》の落葉《おちば》』森鴎外《もり....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
阿弥作の「弁天小僧」を無断上演して、作者の遺子吉村いと女より告訴せらる。裁判所は
坪内逍遥博士に鑑定を命じ、結局原告の勝訴となる。 ○一月、菊五郎は病気のために、....
「古い暦」より 著者:長谷川時雨
下ざらいするが、直した箇所があるから、見にきてくれ。 かつて夏目漱石、森鴎外、
坪内逍遥と、大きな名をならべて、過分な幸福を授けてくださった、あたしたちの「狂言....