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「垂井〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

垂井の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
な非常時的態度に出て居るので、勝家の方でも亦、秀吉の襲撃を恐れて、越前への帰途、垂井に留り躊躇する事数日に及んだ。だが、秀吉はそんな小細工は嫌いなので、それと聞....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
二十七日に中津川を出立した浪士らは加納藩や大垣藩との衝突を避け、本曾街道の赤坂、垂井あたりの要処には彦根藩の出兵があると聞いて、あれから道を西北方に転じ、長良川....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
努めたりした。あるいは美濃の養老の瀑の由緒を明らかにした碑を建て、あるいは美濃|垂井清水に倭建命の旧蹟を考証して、そこに居寤清水の碑を建て、あるいはまた、継体天....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
あるんだね」 「この街道筋を西へ向って行けば、二つ目の丁場がそれだとさ、この次が垂井《たるい》というので、それまで二里半、垂井の次が関ヶ原で一里半ということだか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
らねえが、さてどうしたものだろう。 がんりきはこのことを考えて、美濃路をついに垂井《たるい》の宿まで来てしまったのが、三日目のもう夕刻です。今晩中の約束だから....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ほどな苦しみを訴えて迫るし、居坐ったまま捕まるのも能がないと思って決意をかため、垂井の宿と思われる方角へ、彼を負って降りかけて来たところだった。 又八は、片手....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
い」 と、唐突にいって、懐中から取り出したものをお綱の手へ渡した。それは美濃の垂井の宿、国分寺の割印を捺した遍路切手で、それを持って国分寺にゆけば、この三月の....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
え」と、沈着を装って、 「江戸表で探った所から推すと、その弦之丞は、もうとくに、垂井の国分寺に着いて、道者船の出る日を待ちあわせている筈だ。それが、いまだにこの....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
一通、近習の手をへてかれの前へ届けられた。 密封した書状の上紙には、木曾街道|垂井の宿、御用飛脚屋むかでやの扱い印がベットリとおしてある。 「気分が悪い」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
軍も、熱田から以西は、夜を日につぐの急だった。 軍日誌によると、一ノ宮、大垣、垂井の間をほとんど四日たらずで行軍しており、あげくに墨股では、むりな雨中|渡渉ま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
のこの一月は、彼らにとって、苛烈であった。 行くての美濃路は――不破、関ヶ原、垂井、青野原――すべて敵勢で充満していた。はやくも京都から直義の指揮下に、高ノ師....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
ヶ原で降りて、首塚で一ぷくする。すぐ北の伊吹山には、まだ雪が白く風も冷たい。古い垂井ノ宿から不破あたりへかかると、車の通行数はグンと少なくなってくるが、そのかわ....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
、どれも一様な暗さを土壌に残しており、明るい話というのが少ないせいでもあろうか。垂井駅あたりから窓外を見まわして、ぼくの頭にも幾つかのそれらの史話が思い出されて....
大谷刑部」より 著者:吉川英治
たが、いつ頃この辺を通るやら?」 すると、他の一人が云った。 「先刻通ってきた垂井の宿に、たしか、大谷刑部|少輔吉継様御宿舎という立て札を見たように思うが」 ....