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城攻め
「城攻め〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
城攻めの前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「おしの」より 著者:芥川竜之介
に後《うし》ろを見せたことはございません。去《さ》んぬる長光寺《ちょうこうじ》の
城攻めの折も、夫は博奕《ばくち》に負けましたために、馬はもとより鎧兜《よろいかぶ....
「恩を返す話」より 著者:菊池寛
の丘陵が起伏して、その間に、泥深い沼沢が散在した。 板倉内膳正は、十二月十日の
城攻めに、手痛き一揆の逆襲を受けて以来、力攻めを捨てて、兵糧攻めを企てた。が、そ....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
った感情のほかには、忠直卿の心には何物も残っていなかった。 越えて翌月の五日に
城攻めに加わった諸侯が、京の二条城に群参した時に、家康は忠直卿の手を取りながら、....
「阿部一族」より 著者:森鴎外
うゆう》がよろこびを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀《げんき》天正のころは、
城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
。之より先弘中三河守は陶に早く宮尾城を攻略すべき事を進言したけれども、陶用いず、
城攻めは、十月|朔日に定まっていた。その朔日の早暁に、元就が殺到したわけである。....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
からも同じく声を合せて、少しも周章た気色も見えない。重昌、貞清、諸将を集めて明日
城攻めすべく評議したが、有馬忠郷と立花忠茂は共に先鋒を争うのを重昌|諭して忠茂を....
「若き日の成吉思汗」より 著者:林不忘
が、火に油を注いだように燃え上がります。嫂上のことをまだ根に持って、この執念深い
城攻めだ。私は、台察児《タイチャル》は、あの、雲と群がる敵中へ斬り入って、き、斬....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
は南楚地方で猪を呼ぶ名だ。『※※《ほき》内伝』二にいわく、亥は猪なり云々。この日
城攻め合戦剛猛の事に吉《よ》し、惣《そう》じて万事大吉なりとあるは、その猪突の勇....
「三国志」より 著者:吉川英治
いた。 「こんどの戦闘中、ひそかに、それがしが矢倉のうえから見ていると、曹操は、
城攻めにかかる前に、三度、この城を巡って、四門のかためを視察していました。――そ....
「三国志」より 著者:吉川英治
る。明けても暮れても大陸の空は灰色に閉じて白いものを霏々と舞わせている。 「こう
城攻めも長びいては、必ず心腹の患いが起きるだろう。曹操の武力を侮り、後方に小乱の....
「三国志」より 著者:吉川英治
曹操の将士からよい物笑いにされた。 一方を片づけると、大挙して、曹操はふたたび
城攻めにかかった。こんどは内城の周囲四十里にわたって※河の水を引き、城中を水攻め....
「三国志」より 著者:吉川英治
いて、次にはかならず関平が負けると思ったらしく、にわかに、その翌朝、部下の廖化に
城攻めの方をあずけ、自分は、関平の陣へ来てしまった。 そして、きょうは自分が、....
「三国志」より 著者:吉川英治
は」 と、痛嘆して、自身、軍容をあらためて、他日、慎重に城へ迫った。 「およそ
城攻めには、初めてかかる日をもっとも肝要とする。一日攻めて落ちず、二日攻めて落ち....