城方[語句情報] »
城方
「城方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
城方の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩を返す話」より 著者:菊池寛
は原城の陥らぬようにと祈っていた。 「もう、軍《いくさ》も今日|限《ぎ》りじゃ。
城方は兵糧がない上に、山田|右衛門作《えもさく》と申す者が、有馬勢に内応の矢文《....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
警報となる。B29、十数機と、そのあとP51、六、七十機が来襲した。 千葉、茨
城方面を行動し、一部は帝都へ入ったというが、雲低く遂に機影を見ず。友軍機の八機編....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ある。明治元年の七月、越後の長岡城が西軍のために落された時、根津も江戸を脱走して
城方に加わっていた。落城の前日、彼は一緒に脱走して来た友達に語った。 「ゆうべは....
「平馬と鶯」より 著者:林不忘
して逆にその裏をかいたのである。もとより橋の壊れたというのも敵の計で、乱闘中に結
城方からの邪魔を入れないためにほかならなかったが、その番人も平馬の友達三人のため....
「若き日の成吉思汗」より 著者:林不忘
弟|台察児《タイチャル》、半弓を引っ提げて、出て来る。武士三四人つき従う。すべて
城方の参謀、兵士らは、空腹と疲労に生色なく、軍衣は破れ、あるいは頭部《あたま》に....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
い。いずれ素晴らしい術比べが、闇中で行われたことだろう。 とまれ其の結果、伏見
城方では、十人の人間が殺された。そうして大閤秀吉は、曽呂利新左衛門の頓智によって....
「アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
て、私の空想は一場の夢と化し終った。 その用地の境内に立って、日比谷公園から宮
城方面の暮れゆく夏の夜の黒い樹木の上には、折柄片破れ月が澄みきった星空に光ってい....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
いる。恰も、城の将兵から飼われているのも同じようであった。ところが、昨夜の戦いで
城方が甚だまずい。この分では、落城に及ぶかも知れぬと知ったとき、傍観するのに忍び....
「利根の尺鮎」より 著者:佐藤垢石
は、当たり前であろう。 そういう性質の流水であるから、東海道の諸川や、栃木、茨
城方面の川が、六月一日の解禁日から、もう盛んに友釣りに掛かるというのに、利根川の....
「温泉雑記」より 著者:岡本綺堂
。明治元年の七月、越後の長岡城が西軍のために攻め落された時、根津も江戸を脱走して
城方に加わっていた。落城の前日、彼は一緒に脱走して来た友達に語った。 「ゆうべは....
「三国志」より 著者:吉川英治
残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛
城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派....
「三国志」より 著者:吉川英治
すべて一致していたので、 「さてこそ」と、厳顔は手を打っていった。 「あくまで、
城方が出て戦わぬに気を悩まし、遂にここを避けて、間道より※城へ押し通らん彼の所存....
「三国志」より 著者:吉川英治
着陣した。 その軍勢も多くなかった。 これへ臨む前に、※陽にも、陽平にも、石
城方面へも、軍をわけて、自身はその中軍だけを率いてきたからである。 「自分が来て....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
寄せ手のほこる兵量が、二陣三陣とさらに崖の全面をおおいつくせば、むしろそれは
城方の好餌であった。大木、岩石の雨が、轟然と、彼らの頭上に降りかかって来る。 ....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
。ひとたび平井山のご陣が敗れんか、織田方全体のやぶれとなろうも知れん。――まして
城方に比しては手薄なところ、わしの留守中には、百人分も戦え。――来るなっ」 「は....