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「堀内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

堀内の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
ば、彼は、更に自身|下《しも》の間《ま》へ赴いて、当日の当直だった細川家の家来、堀内伝右衛門を、わざわざこちらへつれて来などはしなかったのに相違ない。所が、万事....
十二支考」より 著者:南方熊楠
記し居る。『紀伊続風土記』九十に尾鷲《おわせ》郷の地士世古慶十郎高麗陣に新宮城主堀内に従って出征し、手負《ておい》の虎を刺殺し秀吉に献じたが、噛まれた疵《きず》....
寺坂吉右衛門の逃亡」より 著者:直木三十五
新らしく聞いた材料、創り上げた話を刷出して、町中を呼んで歩いていた。 「番町の、堀内源太左衛門正春先生のところでは、門人から、六人まで、義士を出したって、今日、....
蕎麦の味と食い方問題」より 著者:村井政善
すが、料理者として一言付記すると共に御指導のほどを書中ながら願う次第であります。堀内中将の話 お国自慢、信州蕎麦。あれには昔から食い方があります。大根をおろし....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
執行の法会をお会式とはいい、宗徒は又おめいこうとて本山に参籠する。池上の本門寺、堀内のお祖師様など、江戸以来の霊場で、遠くは中山の法華経寺へも出かける。 この....
」より 著者:田中貢太郎
枝の削ったのを地べたに打ち込んで執りっこをする根っ木というのをしていたところで、堀内と云う村の巡査がつかつかと入って来て、私達の傍を通って表座敷の縁側の方へ往っ....
関牧塲創業記事」より 著者:関寛
三角測量吏吉村氏は※別山に三角台を建るが為めに来泊す。 此際道路新設にて、請負人堀内組病者多しとて、藤森彌吾氏を以て頼み来れり。此れ我牧塲に向うて道路新設たるを....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
全く無くなっていた。 さて住宅については、明治七年頃であった、久しく住んでいた堀内の邸を僅かばかりに売却し、その金を以て継母かつ妻の里なる二番町の春日の長屋を....
獄中消息」より 著者:大杉栄
。今までは人間の食物だと聞いて居たが、ではなくて猫の玩弄品と見える。 今朝妹と堀内とが面会に来た。こんな善いところにいるのを、何故悲しいのか、オイオイとばかり....
水甕」より 著者:豊島与志雄
の戦死が最近になって初めて分明し、一室を仁木に貸すことにしたのです。夫婦の外に、堀内富子という中年の女がいまして、炊事雑用を一切やり、仁木の日常の用事も手伝って....
戦後新人論」より 著者:坂口安吾
珍優を発掘することもできるだろうと思う。 一朝一夕で訓練できないのは話の泉で、堀内敬三先生の如きは、まさしく戦後派新人の明星であろう。よくまあ御存知になってい....
べんがら炬燵」より 著者:吉川英治
は、大廊下の角で、十七士|接伴役として、細川家の家中から選ばれたうちの一人である堀内伝右衛門をつかまえて、 「なに、あの者たちへ、火鉢を与える? ……。以てのほ....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
、翌年、いよいよ切腹の日になって、その数ヵ月浪士たちの世話をして来た細川家の家老堀内伝右衛門は初めて彼の恋の相手を眼に見たのだった。 伝右衛門はその日、長らく....
茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
なく、十日と十二日のが一通ずつ出ている。十日のは、名古屋市昭和通松月町六ノ一九の堀内通孝あての葉書で、その葉書には、「拝啓酷暑の候御清適大賀奉り候非常に上等品い....