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堀江
「堀江〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
堀江の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
伝蔵と係り合いの女はどこにいるでしょう」 「それはお熊という女で、年は十九、宿は
堀江だそうだ」 「
堀江とは何処ですね」 「下総《しもうさ》の分だが、東葛飾《ひが....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も
堀江町の和国橋の際で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹てたく....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
て、母校とは云いながら、私たちに取っては縁の薄い方である。 そのほかに元園町に
堀江小学、山元町に中村小学というのがあって、いわゆる代用小学校であるが、その当時....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
人いまだこの論派を目するに保守論をもってするには至らざりき。すでにして得庵先生は
堀江、原田の諸議官とともに一派を立て自ら保守中正論派と称し、『保守新論』をもって....
「南地心中」より 著者:泉鏡花
です。意地張りもちっと可恐いような婦でね。以前、芸妓で居ました時、北新地、新町、
堀江が、一つ舞台で、芸較べを遣った事があります。その時、南から舞で出ました。もっ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
、「旅にして物恋しきに山下の赤のそほ船沖に榜ぐ見ゆ」(巻三・二七〇)は黒人作、「
堀江より水脈さかのぼる楫の音の間なくぞ奈良は恋しかりける」(巻二十・四四六一)は....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
屋の養女に貰われたのは事実であった。それは彼女が遠縁にあたる家で、町でも第一流の
堀江屋という大きい料理屋であるので、昔馴染みの富子のために町の芸妓たちをも駆りあ....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
城氏に与えた)というのは、ミノか伊那であろう。物部守屋が像をすてたというナニワの
堀江はミノの武儀郡と稲葉郡のあたり、入海がカガミガ原まできていた頃のその海ちかい....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
おきみ婆さんは昔大阪の二等俳優の細君でしたが、芸者上りの妾のために二人も子のある
堀江の家を追いだされて、今日まで二十五年の歳月、その二人の子の継子の身の上を思い....
「花束の虫」より 著者:大阪圭吉
度共劇団に関するお話を主人となさった様です。後の二人は女優さんで、中野藤枝さんに
堀江時子さんと申されるモダーンな美しい方達ですが、劇団がまだ職業的なものになって....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
工夫していた。私の考え付いたのはまず「百人一首」であった。私はやはり同じクラスの
堀江太郎という「気はやさしくて力持ち」の少年と、も一人池上正夫という非常に優美な....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
聴くが好い」 真堀洞斎は実に大阪落城者の一人で有った。しかも真田幸村の部下で、
堀江錦之丞と云い、幸村の子|大助と同年の若武者。但し大阪城内に召抱えられるまでは....
「食指談」より 著者:佐藤垢石
げの天麩羅三百四十を食った。永井肥前守の家来辻貞叔は大福餅三百二十を平らげ、江戸
堀江町の家主清水徳兵衛は鰻七貫目分の蒲焼きと飯五人前をぺろりとやってのけた。雷権....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
日医師に診てもらう、私はほんとに大阪の空が呪わしく思います」 これは西区選出の
堀江喜一郎の言葉であった。それをうけついで、市会議長の船場繁昌は誰に言うともなく....
「古事記」より 著者:太安万侶
お作りになり、また丸邇《わに》の池、依網《よさみ》の池をお作りになり、また難波の
堀江を掘つて海に通わし、また小椅《おばし》の江を掘り、墨江《すみのえ》の舟つきを....