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堅陣
「堅陣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
堅陣の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
。野出、太田尾、三ノ嶽、耳取の天険は遙かに田原、山鹿に連絡して、長蛇の横わる如き
堅陣は、容易に破り難く見えた。戦備を了った官軍は、月が変って三月三日、行動を起し....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
行し、昼は木洞中に退いて押し合いおり、最後に入ったものが番兵の役を勤む。行く時は
堅陣を作り、牡まず行き牝は子を伴れて随う。敵に遇わば共同して突き当る。その猛勢に....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
人以外にこれほどの術を、これほどに使う者はない。「あっ」と甚内は身を締めた。この
堅陣破ることは出来ぬ。ジリ、ジリ、ジリと後退り、またもやグルリと身を翻えすと、窮....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
。たしか歩が一ツと、一手か二手の余裕があると、全然破れる筈のない手つかずの木村の
堅陣がバタバタバタと二三十手で即詰まで行く仕掛けになっていた。そのバタバタバタの....
「三国志」より 著者:吉川英治
ぎに急いで、敵の※城へ向った。 劉表の第一線は、黄祖を大将として、沿岸に防禦の
堅陣を布いていた。 孫策は、父の本軍より先に来て、わずかな兵船をもって、一気に....
「三国志」より 著者:吉川英治
肖の胸には必勝の策も得られず、確たる戦法も立っておりません。お恥かしいが、曹操の
堅陣に対し、その厖大な兵力を眼のあたりにしては、まったく手も脚も出ないというのが....
「三国志」より 著者:吉川英治
「丞相。おつかれではありませぬか」と、声ひくく慰めた。 「……おお、程※か。呉の
堅陣に対して打つ手がない。初手の戦も、彼の攻勢に、味方はようやく防いだのみだ」 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
に馮習、張南。中軍護尉に趙融、廖淳。うしろ備えには直臣の諸大将。宗徒の旗本など、
堅陣雲の如く、蜀の峡中から南へ南へと押し流れて行った。 ――ところが。 ここ....
「三国志」より 著者:吉川英治
軍の盲動近し」と覚るや、その前夜、兵を分配して、石亭のうしろへ廻し、南北の麓にも
堅陣をつらね、自身|采配を振って、その正面から攻め上る態をなしたのである。 そ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
れの監察にまいるのだ。すなわち、執権高時公のお目代りを仰せつかって、近江の要衝に
堅陣を布き、それらの不審を見まもるために西上するのだ。おてまえの御主人にも、よう....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
」と思い。「敵は小勢」と初手にあまく観たのが案外だったので、その反作用からかたく
堅陣をとってうごかなかった。加うるに、彼方の偽陣を見て、それも足利方|後詰かと、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ことも、たびたびだった。 が、十二月十三日の決死の渡河は成功して、ついに、敵の
堅陣をけちらし、十六日には、長駆、もう武蔵野の西を駈けつつ、 「はや、鎌倉はそこ....