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堯
「堯〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
堯の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「冬の日」より 著者:梶井基次郎
一 季節は冬至に間もなかった。
堯《たかし》の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日ごと....
「惰眠洞妄語」より 著者:辻潤
たばかりでも私達は既に値打づけられてしまっているように感じることがある。 昔、
堯舜《ぎょうしゅん》の時代というようなそんなものがあったか、なかったか、又この先....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
出て、ここはどこだと人に訊くと、牟平の海浜であるといわれた。 異石 帝|
堯の時に、五つの星が天から落ちた。その一つは土の精で、穀城山下に墜ち、化して※橋....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
したと言う。 この役に、関西方に附いた真田家の一族は、尽く戦死した。甥幸綱、幸
堯等は幸村と同じ戦場で斃れた。 一子大助は、城中において、秀頼公の最期間近く自刃して果て、父の言葉に従った。....
「柳毅伝」より 著者:田中貢太郎
。 「銭塘とおっしゃるのは、何人のことでございます」 「銭塘とは、わしの弟じゃ、
堯の時の洪水は、あれが怒ったから起ったのじゃ」 不意に百雷の落ちかかるような大....
「謀叛論(草稿)」より 著者:徳冨蘆花
ある。せめて元田宮中顧問官でも生きていたらばと思う。元田は真に陛下を敬愛し、君を
堯舜に致すを畢生の精神としていた。せめて伊藤さんでも生きていたら。――否、もし皇....
「三人の相馬大作」より 著者:直木三十五
い――だが、それは無理も無いことだ。町人までが、わしの志の判る世の中なら、それは
堯舜《ぎょうしゅん》のような時代だ、老中、重役共でさえ、大義が何んであるかを知ら....
「惜別」より 著者:太宰治
と周さんは、即座に否定して、「ご存じでしょうが、支那の天子は、万世一系ではなく、
堯舜の禅譲にはじまり、夏は四百年十七代、桀王に及んで成湯のため南巣の野に放逐され....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
んがいらっしっては頼もしいことでございますね」 「そうだ、義観のほかに、竜王院の
堯忍、竹林坊の光映などというところは、覚王院とは異った長所を持つエラ物《ぶつ》だ....
「『尚書』の高等批評」より 著者:白鳥庫吉
東洋協會講演會に於いて、
堯舜禹の實在的人物に非ざるべき卑見を述べてより已に三年、しかもこの大膽なる臆説は....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
間もなく、四月の十三日というに、照雲上人を戒師と頼んで盧山寺において落飾し、法名
堯空、逍遙院と号した。後世永く歌人の間に尊ばれた逍遙院内府の名は、これからして起....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
じているらしかった。僕は機械的にしゃべっているうちにだんだん病的な破壊慾を感じ、
堯舜を架空の人物にしたのは勿論、「春秋」の著者もずっと後の漢代の人だったことを話....
「生と死との記録」より 著者:豊島与志雄
Hの停留場で電車を下りて家へ歩いて行った。賑かなM町通りを通っていると、ふと私は
堯《たかし》に玩具を買って行ってやろうかと思った。玩具屋の店先には種々なものがご....
「文学以前」より 著者:豊島与志雄
ある。舜帝の二人の妃が、碁道を創始したとも或は碁道を仙人から教わったとも云われる
堯帝の、娘だったという因縁にもよるのである。 ところで、北京に遊んで、天壇の圜....
「デモクラシーの要素」より 著者:新渡戸稲造
洋ならば少くとも希臘《ギリシャ》の歴史にまで達してその本《もと》を探り、東洋では
堯舜の時代にまでも上り得るのである。何《いず》れの説によらず、それからそれと本《....