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報徳
「報徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
報徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『
報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。この本はわれわ....
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
め、追い追いその人を撰み、その俸給を増さんことこそ願わるれ。世に喧伝する平田内相
報徳宗にかぶれ、神社を滅するは無税地を有税地となすの近道なりとて、もっとも合祀を....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
はないものです。私が関東の方を旅をしておりますうちに、到るところで二宮尊徳先生の
報徳の仕法を承りました、相模の国の二宮金次郎というお方でございます。あの方は、幼....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
、余輩が他事《よそごと》ながら弁護した点に、世間は平田氏が村長格の性器であって、
報徳宗を鼓吹したりすることは、一代の空気を陰化せしめてよろしくないという様な世論....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
でやって来たことも、たいていはK君の入れ知恵でしてね。ははは。」 第二日目は、
報徳部落として全国に名のきこえた、同県の杉山部落の見学だった。杉山部落は、歴史と....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
ころ現実的な労苦と渋みに対し、鍛錬されることがあまりに足りなかった。浄瑠璃と共に
報徳教的なものを教えられたらどうだったろう。二宮金次郎的の空気は私たちにはなかっ....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
熱に負う処があった。 井侯以後、羹に懲りて膾を吹く国粋主義は代る代るに武士道や
報徳講や祖先崇拝や神社崇敬を復興鼓吹した。が、半分化石し掛った思想は耆婆扁鵲が如....
「編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
た頃、自分も文部省に奉職しておったが、同博士から頼まれて、帝国教育会館で開かれた
報徳会かの会合に列席し、賤民の民族的研究を述べた事があった。この時この方面の研究....