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塢
「塢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
塢の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
ったのを喜ぶ、実は少々情なくてならぬ。 されば詩経の草木、万葉の草木なんど、菊
塢翁の昔から凝りやをうりものの、向島百花園、三、五年この方、吉例を再興して虫放ち....
「細木香以」より 著者:森鴎外
の鱗形を染めさせるので、一鱗堂と号し、書を作るときは竜池と署し、俳句を吟じては仙
塢と云い、狂歌を詠じては桃江園また鶴の門雛亀、後に源僊と云った。 竜池は父を伊....
「歌麿懺悔」より 著者:邦枝完二
歌麿は起きると間もなく、朝帰りの威勢のいい一九にはいり込まれたのを口開に京伝、菊
塢、それに版元の和泉屋市兵衛など、入れ代り立ち代り顔を見せられたところから、近頃....
「百花園」より 著者:永井荷風
な若い芸人の口述したものである。然し老人は倦まずによく之を読む。 わたくしが菊
塢の庭を訪うのも亦《また》斯《か》くの如くである。老人が靉靆《めがね》の力を借る....
「向嶋」より 著者:永井荷風
言問や三囲の堤には桜はなかったわけである。文化年間に至って百花園の創業者|佐原菊
塢《さわらきくう》が八重桜百五十本を白髭神社の南北に植えた。それから凡《およそ》....
「三国志」より 著者:吉川英治
縁者は端にいたるまで、みな金紫の栄爵にあずかって、わが世の春に酔っていた。 ※
塢―― そこは、長安より百余里の郊外で、山紫水明の地だった。董卓は、地を卜して....