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「塩冶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塩冶の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
る。もっとも朝散太夫|浅野内匠頭長矩《あさのたくみのかみながのり》、即ち忠臣蔵の塩冶判官《えんやはんがん》高貞もそうである。 その、従五位下朝散太夫の唐名をも....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
の庵へ忍んで来たのは、こういう事情がひそんでいるのであった。 かれの父の師直は塩冶判官高貞の妻に恋していた。この恋物語は、その当時の太平記の作者が玉をつらねた....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
で忘れ得ないもの、また忘れてならないものの一つは「日出団扇」であります。簸川郡|塩冶村浄音寺で作られます。紙の部分は横に広いやや楕円の形をなし色が白と紺との染分....
私本太平記」より 著者:吉川英治
引き継ぐため、大小幾十そうの船を艤して、早くから待っていた。 また出雲の守護、塩冶判官高貞なども、立会いとして、これへ臨んでいたので、三明院の野外は、時ならぬ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いたかもしれない。――中でひとり富士名義綱だけは、或る一策をもって、出雲の守護、塩冶高貞の許へ奔って行った。 一方。帝の左右の人々は、 「お上には、ご不例であ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、馬上。ほかの公卿官人はみな、騎馬|戎衣(軍装)で供奉についた。 出雲の守護、塩冶判官高貞も、国元兵をつれて、前駆の役をつとめている。朝山太郎は五百騎で後陣に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、それには、 千葉ノ介|貞胤 宇都宮|公綱 菊池肥後守武重 大友左近将監塩冶の判官高貞 熱田ノ大宮司、薩摩守義遠などの百数十家、所領の分布からみても全....
私本太平記」より 著者:吉川英治
すこぶる派手で、それがその道だけの達人みたいに喧伝された理由であろう。 彼と、塩冶判官高貞の妻との艶話なども、ひどく市井に喧伝されたものである。 高貞の妻室....