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「塩沢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塩沢の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
に光っている。 この山の中だ。時には荒くれた猪が人家の並ぶ街道にまで飛び出す。塩沢というところから出て来た猪は、宿はずれの陣場から薬師堂の前を通り、それから村....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
一緒に歩いた。そして朝早くから日暮れに近いころまでかかって、東寄りの峠村中の田、塩沢、岩田、それから大戸あたりの稲作を調べに回った。翌々日も半蔵らは背戸田からは....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
から、碓氷峠《うすいとうげ》で小諸の家老の若い者らが休息所へ来て無礼をしたから、塩沢円蔵という手代とおれと、その野郎をとらえて、向うの家老の駕籠《かご》へぶつけ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
次、先代|芝翫《しかん》の松前鉄之助と仲間嘉兵衛、助高屋高助の浅岡、板倉内膳正、塩沢丹三郎、先代菊五郎の片倉小十郎、神並三左衛門、茶道珍斎、先代左団次の伊達安芸....
後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
家を立去りまして、三俣へ二里半、八木沢の関所、荒戸峠の上下二十五丁、湯沢、関宿、塩沢より二十八丁を経て、六日町へ着しました。其の間凡そ九里何丁、道々も手掛りの様....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
」等、おもに政治小説であった。 同時代に在学した人では、金子馬治、津田左右吉、塩沢昌貞の諸博士および木下尚江、田川大吉郎、坪谷善四郎、森弁次郎の諸氏がある。ま....
越後の闘牛」より 著者:佐藤垢石
ではない、と、自ら八犬伝のうちに付記している。これは、随筆北越雪譜の著者南魚沼郡塩沢の里長鈴木牧之から庚辰三月二十五日に伝聞した実況で、牧之は村政や筆硯多忙のた....
」より 著者:佐藤垢石
りであるが、湯沢温泉まで下ると、寺泊の堰の天然鮎を送ってきて放流している。石打、塩沢と次第に中流に及ぶほど鮎の育ちは大きく、川の幅も広くなるのである。このあたり....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
と南牧川を合わせる鏑川の水は美しい。おいしい鮎が大きく育つ。わけて南牧川の支流、塩沢川の山女魚には、数々の想い出がある。 裏秩父と、御荷鉾とがはさむ渓谷には、....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
すが、小千谷の上布に如くはありません。江戸時代この方実に見事な仕事を見せました。塩沢が今はかえって中心であります。雪に埋もれたそれらの地方は、雪水を活かして天然....
」より 著者:中谷宇吉郎
二月一部改訂に際して 著者 第一 雪と人生 一 千七百七十年正月七日越後の国塩沢に生れた鈴木|牧之《ぼくし》が天保年間に著《あらわ》した『北越雪譜』は、雪に....
語呂の論理」より 著者:中谷宇吉郎
えないようである。ところが、この『北越雪譜』の著者鈴木牧之|翁《おう》は、越後の塩沢《しおざわ》の商人で、時々商用で上京した時に当時のいわゆる文人《ぶんじん》雅....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
の親たちに心配をするなという伝言をしたというのです。 更に岩代二本松の町の近く塩沢村の機織御前の話などは、また少しばかり変っています。昔ある人が川の流れに出て....