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「塩谷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塩谷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
単独行」より 著者:加藤文太郎
感慨無量、しばし見入らずにはいられぬ。黒部川を下って国道を蒲生峠に登り荒れた道を塩谷に下り、岩美駅へ午後九時半まで歩いた。午後十時十三分汽車は京都へ向って駅を出....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
賞に均霑し得ない場合、彼等の間に、不平不満の声の起きるのは当然である。 或日、塩谷判官高貞が良馬竜馬を禁裡に献上したことがあった。天皇は之を御覧じて、異朝は知....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
かなかった。ただ一人、木曾福島の武居拙蔵、その人は漢学者としての古賀※庵に就き、塩谷宕陰、松崎慊堂にも知られ、安井息軒とも交わりがあって、しばらく御茶の水の昌平....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ぼりがまだ冷めていない代物《しろもの》。 仏頂寺は、高師直《こうのもろなお》が塩谷《えんや》の妻からの艶書でも受取った時のように手をわななかせて、その胴巻を鷲....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
う》ほどの剛の者がついておりながら、高武蔵守師直《こうのむさしのかみもろなお》が塩谷《えんや》の妻でしくじったのも、短気から――すべて色事には短気がいちばんの損....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ってこれが国学科、なお大中少の助教があって、漢学では亀谷行蔵氏川崎魯輔氏が大助教塩谷修輔氏岡千仭氏が中助教、また井上頼国氏が中助教であったのだが、多分国学科であ....
幽霊の衣裳」より 著者:田中貢太郎
怪談』を木挽町の山村座で初めて上演した。其の時菊五郎はお岩と田宮の若党小平、及び塩谷浪人|佐藤与茂七の三役を勤めたが、お岩と小平の幽霊は陰惨を極めたもので、当時....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
「何時からと云って先祖から」 角「私が名前も先祖から」 鹽「手前の先祖は下野の国塩谷郡塩原村の郷士鹽原角右衞門という事が書類に残って居りますが、精しくも調べては....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
仏の前には身分の相違はない。新憲法も人権の自由平等を認めて居る。棺前に立った時は塩谷温対長谷川菊乃であった。之が人間の真の姿である。穂積博士の脳髄は医学の好資料....
読書遍歴」より 著者:三木清
た姿が眼に浮んでくることがある。 その時代私の読書における一つのエピソードは、塩谷温先生――その御尊父青山先生から私どもは学校で漢文を習った――のお宅に伺って....
越後の闘牛」より 著者:佐藤垢石
めきが起こった。第一番組の取組が、はじまるのだ。東の口から曳きだされてきたのが、塩谷村の甚六牛である。茶色で、肩の肉瘤隆々として盛り上がり、目方は二百貫近くもあ....
水と骨」より 著者:佐藤垢石
び峡谷に入るのであるが、流れは温かのままである。 那珂川もそうである。栃木県の塩谷、那須、芳賀の三郡に拓けた耕地から、広く浅く陽を受けた温かい水が絶えず注いで....
隠亡堀」より 著者:国枝史郎
れた。 「うん、暫く逢わなかったな」 こう云ったのは伊右衛門であった。 昔は塩谷家の家来であった。 今は無禄の浪人であった。 「考えて見りゃあお前さんは、....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
。もとは、ほとんど直立せる巌壁を横絶したりけむ、今は丸木橋にて渡りて、間もなく、塩谷温泉に投ず。五里の層雲峡中、人家あるは、加藤温泉と塩谷温泉との二軒のみ也。他....
向嶋」より 著者:永井荷風
これを補うに加藤善庵《かとうぜんあん》が『墨水観花記』を以てしている。わたくしは塩谷宕陰《しおのやとういん》の文集に載っている「遊墨水記」を以て更にこれを補うで....