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塵劫
「塵劫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
塵劫の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いわね」 お雪は首をひねって思案してみたが、 「考えたってわかりゃしませんわ、
塵劫記《じんこうき》とはちがうんですもの、土地の人に聞いてみなければ」 「番頭さ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
筋と明確に数を挙げてもらいたい、これも当世流行の数学的というやつで、つまり、昔の
塵劫記《じんこうき》で行くのだ」 「そう言われると、そうだなあ、その落着くべき道....
「肝臓先生」より 著者:坂口安吾
意識が長々とした時世に存在したものなんだな。ボクなんかは、ピカドンというような微
塵劫的現実に密着しているから、そぞろ歩きに微風を薫じるような芸当はとてもできない....
「親鸞」より 著者:三木清
助正間雑し、定散心雑するがゆへに、出離その期なし。みづから流転輪廻をはかるに、微
塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海にいりがたし。まことに傷嗟すべし、....
「芸術と数学及び科学」より 著者:三上義夫
美〉 日本の算書には絵入りのものもずいぶんあった。最も早く作られた一つである『
塵劫記』のごときも大きな絵を入れたものであった。『
塵劫記』の図には色刷も試みられ....
「和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
という。その門下からでた吉田光由は洛西嵯峨の角倉家の一族にして、著わすところの『
塵劫記』は極めて広く行われた。この書はわが国で色摺版画の用いられた最初のものとい....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
伝わったのは確かであって、毛利等の伝授から広まったものであろう。 吉田光由の『
塵劫記《じんこうき》』は『統宗』に基づいて著作したといわれている。『
塵劫記』とい....
「註文帳」より 著者:泉鏡花
管さえ、その中に置いたら異彩を放ちそうな、がらくた沢山、根附、緒〆の類。古庖丁、
塵劫記などを取交ぜて、石炭箱を台に、雨戸を横え、赤毛布を敷いて並べてある。 「い....
「法然行伝」より 著者:中里介山
もうせんだいはい》。 毀滅頓教永※淪《きめつとんきょうえいちんりん》。超過大地微
塵劫《ちょうかだいちみじんごう》。未可得離三途身《みかとくりさんずしん》。 ....