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「塵袋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

塵袋の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
子との関係には及んでいないのである。古く鎌倉時代、おそらく弘安頃の著と考えらるる塵袋にも、「傀儡トカキテククツトヨム二字心如何」との見出しで説明があるが、それも....
サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
っていた事が知られるのは面白い。 エタが皮作りの職人のみでなく、かつては浄人(塵袋)をも、河原者(※嚢抄)をも、青屋(三好記雍州府志)をも、エタの名を以て呼ん....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
は穢れた仕事のみをしたのではありません。「穢多」という文字は、初めて鎌倉時代の「塵袋」に出ておりますが、昔の穢多は井戸掘りや、御輿舁をやっているのでありました。....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
というともある。「延喜式」に、 。 とある濫僧を、ロウソウと読んで、弘安頃の「塵袋」には、エタの仲間に入れてある。自分の郷里阿波の南方では、身なりの賤しいもの....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
そらくその使用は、鎌倉時代から始まったものであろう。弘安年間のものと認められた「塵袋」に、「キヨメ」を「エタ」というたことについて、その「エタ」とは餌取の語の転....
牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
の濫僧をも通例ただちに屠者すなわちエタと呼んだとの事が、弘安頃の著と認められる「塵袋」に見えている。しかしこの称呼は実は鎌倉時代になって始まったのではなく、実は....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
古くこれをエタに相当するものとして認められていた。日蓮とほぼ時代を同じゅうした「塵袋」に、 キヨメをヱタといふは如何なる詞ぞ。穢多 なり。 と解しておるが如きは....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
しのみでなく、鎌倉時代では、彼らは主として狩猟を業とし、その婦は遊女の如しとも「塵袋」に見えている。 いずれにしてもこれらはみな社会の落伍者である。落伍者はい....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
らも推測せられるが、寺の所属としての彼らは、寺院境内境外の掃除を掌ったもので、『塵袋』にエタと称した浄人の徒であった。したがって彼らは掃除以外警固の任にも当たっ....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
普通民の落伍者となって、成り下った者だとのことであります。 鎌倉時代にできた『塵袋』という本には、河原者を「キヨメ」というとあります。「キヨメ」とは文字に「浄....
濫僧考」より 著者:喜田貞吉
ったものであろう。まずそれから考えてみる。これも「旃陀羅考」に引いた鎌倉時代の「塵袋」(五)に、 キヨメをヱタと云ふは如何なる詞ぞ 穢多 と云ふ。其れを非人・カ....
濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
が、その境界が明らかでない。 鎌倉時代に仔細知らぬものがエタを濫僧と云ったと「塵袋」にあるが、彼らはまた実に非人法師であった。藤原定家の日記「明月記」嘉禄元年....