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塾
「塾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
塾の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
な事をいおうと、赤坂学院には入れないでくださいまし。私きのう田島《たじま》さんの
塾《じゅく》に行って、田島さんにお会い申してよくお頼みして来ましたから、少し片付....
「或る女」より 著者:有島武郎
っかりはしゃぎきっていた。二人《ふたり》が古藤につれられて始めて田島《たじま》の
塾《じゅく》に行った時の様子から、田島先生が非常に二人《ふたり》をかわいがってく....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
組みした令嬢たちも、皆そこから通学した。別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊
塾と題したのである。漢詩の嗜がある軍医だから、何等か桐楊の出処があろう、但しその....
「画学校時代」より 著者:上村松園
はもっともであるが、学校の規則は曲げられぬから、それほど人物が描きたければ自分の
塾へ学校の帰りに寄るとよい。参考を貸したり絵も見てあげるから」 私は悦び勇んで....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
堂――台町の山の屋敷の庭続き崖下にある破借家……矢野も二三度遊びに行ったね、あの
塾の、小部屋小部屋に割居して、世間ものの活字にはまだ一度も文選されない、雑誌の半....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
ている。若山は、昔なら浪人の手習師匠、由緒ある士がしばし世を忍ぶ生計によくある私
塾を開いた。温厚|篤実、今の世には珍らしい人物で、且つ博学で、恐らく大学に業を修....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
て我身も頼もしからず。今さら学資をスリ取られたとは在所へ言いもやられず、この上は
塾僕学僕になりてもと奮発せしかど、さる口もなく空しくこの家に厄介となり、鼻紙の事....
「作画について」より 著者:上村松園
要であって、それが素養とも基礎ともなったものでした。 ですから皆それぞれ漢学の
塾へ通い、長尾雨山先生の長恨歌などのお講義はよく聴いていたものでした。 また、....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
りなさい。特に人物画を教えて上げましょう」 といって下さったので、大喜びで松年
塾へ通いました。 暫くして、松年先生が学校を退かれたので、私も学校を止め、松年....
「絹と紙の話と師弟の間柄の話」より 著者:上村松園
くりそのまま現代式な焦燥な心をあらわしてると思います。それが立派な先生の主宰する
塾に弟子入りしてる人でそうなのです。師匠と頼んで弟子入りして置きながらそうした振....
「座右第一品」より 著者:上村松園
頃と思いますが、栖鳳先生の羅馬の古城の屏風が出来ました年に、西山さんや五雲さんや
塾の人が揃って上加茂あたりに写生に行った時の写生でございます。百姓の女や畑の牛や....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
まった絵が自選の形式で出品されていたわけである。 そのようにして鈴木松年先生の
塾からもたしか十五、六枚出されたように記憶している。 しかし東京の博覧会では審....
「ピストルの使い方」より 著者:泉鏡花
いま東京で修行をしている伜めが、十四五で、この土地に居ますうち、このさきの英語の
塾へ、朝稽古に通いました。夏は三時|起、冬は四時起。その夏の三時起に、眠り眠りこ....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
しく着飾って歩いている人達の間を小走りに通りぬけて、次から次へ写してゆきました。
塾生の間に松園の写生帖と言って評判が立ったのは、この時です。 京都では、美人画....
「想い出」より 著者:上村松園
校を退かれる事になり、その時、私も御一緒に学校を辞めて、それからは専ら松年先生の
塾で勉強する事になりました。松園という号も、その時先生からつけて戴いたものです。....