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「墨付〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

墨付の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
名君忠之」より 著者:夢野久作
女たちが眼を光らせて肩を押し合った。嬉しい……という風に……。 「硯箱を持て……墨付を取らする」 お秀の方が捧ぐる奉書に忠之は手ずから筆を走らせた。 「コレ与....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ます。ついこの先の街道わきに御陣屋がござりまするが、三代将軍様から何やら有難いお墨付とかを頂戴していられますとやらにて、いかな大藩の御大名方もこの街道を通ります....
石狩川」より 著者:本庄陸男
《かかわ》らず、当然予想された力説や嘆願の手を用いさせないで、あまりに手軽にこの墨付きを受けてしまったのだ。 「よろしいか」 そう念を押されるまで阿賀妻はぼん....
十二支考」より 著者:南方熊楠
与えるがよかろう。 昔四国遍路した老人に聞いたは、土佐の山内家が幕府より受けた墨付百二十四万石とあった。百の字を鼠が食い去ったので百万石は坊主丸儲けとなった。....
南北の東海道四谷怪談」より 著者:田中貢太郎
、訴え出ようか」 「さあ、それは」 伊右衛門はしかたなしに母親からもらっている墨付を長兵衛にやって帰し、それから竿をあげて帰りかけた。と、前の流れへ杉戸が流れ....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
うにと、その御願いの為にお出向きなされたので、猶まだ動きの取れぬ証拠としては、御墨付同様の書類もあるとやら。素よりこの儀造り事ならば、御殿様の御心に御覚えのあろ....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
おり語り終った彦兵衛、珍しく伝法な調子で、 「さあ、親分、これがその神がかりのお墨付――それからこいつが。」と苦しそうに腹掛けを探って、「犬からお貰いした土産物....
三国志」より 著者:吉川英治
だしい庶民が災害に会っています。いま仰せをうけて江南に帰るに際し、なにか丞相のお墨付でも拝領できれば、小家の一族も安心しておられますが」 「先生の一族はいま何処....
私本太平記」より 著者:吉川英治
狩衣を細かに裁ち切らせ、 「まずは後日に恩賞を与える手形ぞ」 と、その小布れを墨付き代りに諸武士へ渡されたのだった。 そのさい帝は、長年の末子の竹万丸にまで....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、この正成に、宮方を裏切って足利方へ加担せいとの、おすすめか」 「わざと、主君の墨付は持参いたしませぬが、何とぞ、密使右馬介をお信じ下されまして」 「お伝言は確....
私本太平記」より 著者:吉川英治
荘を与えようという好餌のもとに、協力を求めたのである。だが叡山はその前日、直義の墨付で、すでに近江三箇荘をもらっていた。当然、あいまいな態度でしかない。 しか....
黒田如水」より 著者:吉川英治
てゆるしを仰いだものである。 播州において一万石の領地を与う。 という信長の墨付であった。目録には、揖保郡福井、岩見、伊勢村の内にて――と地行割も指定してあ....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
、その身付の衣服をも貰う権利を与えられていました。これは慶長十七年の片桐且元のお墨付がありまして、徳川時代になっても、確かにそれが元禄頃まで実行されていた証拠の....
エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
当時もエタの様に疎外されていたとは思われぬ。しかも彼らは慶長十七年に片桐且元のお墨付を頂戴して、町方なり、湯屋・風呂屋・傾城屋などの営業者なりから、定期に扶持料....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
門が、種々の証拠書類を持っておった為でもあった。弾左衛門は浅草に住し、頼朝公のお墨付というものを持ち伝え、徳川幕府ではこれを認めて、彼を関八州から、甲斐、駿河・....