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「墨客〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

墨客の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
令嬢アユ」より 著者:太宰治
末を眺め、長髪を掻き上げて、軽く咳《せき》ばらいするところなど、すでに一個の文人墨客の風情がある。けれども、その、むだなポオズにも、すぐ疲れて来る様子で、立ち上....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
なかなか風流人がございまして、俳諧をやったり書画をいじくったりして、いわゆる文人墨客というような人たちとお附合いをしたものでございます。わたくしの祖父や父もまず....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
は一変する。富士の裾野へ移らなければならない。 古来富士山の美については多くの墨客騒人が競って絵に描き詩歌に作ったが、しかし誰一人その富士山の物騒な方面を説い....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
といい、商標には井桁の中に喜の字を用いた。忠兵衛は詩文書画を善くして、多く文人|墨客に交り、財を捐ててこれが保護者となった。 忠兵衛に三人の子があった。長男栄....
惜別」より 著者:太宰治
意がっています。松島には、それがありません。人間の歴史と隔絶されています。文人、墨客も之を犯す事が出来ません。天才芭蕉も、この松島を詩にする事が出来なかったそう....
亮の追憶」より 著者:寺田寅彦
ていた。かきながら楊枝を縦に口の中へ立てたのをかむ癖があった。当時のいわゆる文人墨客の群れがしばしばその家に会しては酒をのんで寄せがきをやっていたりした。一方で....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
に認められ、井上文雄《いのうえふみお》から松《まつ》の門《と》の名を許され、文人墨客の間を縫うて、彼女の名は喧伝《けんでん》されたのであった。その頃は芸者が意気....
明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
逝《い》ったが、これまた浅草今戸橋のかたわらに、手びろく家居《かきょ》して、文人墨客《ぶんじんぼっかく》に貴紳に、なくてならぬ酒亭の女主人であった。 芳町《よ....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
人乞食隠亡まで、誰一人知らないものはなかった。そうしてお仙やお藤のように、詩人や墨客からも認められた。彼女の出ている一葉茶屋、そのため客の絶え間がなかった。お杉....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
紙屋があった。この楢屋の主人はその頃マダ若かったが、先代からの江戸の通人で、文人墨客と広く交際していた。或時椿岳がフラリと来て、主人に向っていうには、俺の処へ画....
濹東綺譚」より 著者:永井荷風
てから其詩文には多く※の字が用い出された。それから※字が再び汎《あまね》く文人|墨客《ぼっかく》の間に用いられるようになったが、柳北の死後に至って、いつともなく....