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士官学校
「士官学校〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
士官学校の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
の弓師、名は六郎左衛門《ろくろうざえもん》。住居は牛込の河童坂《かっぱざか》――
士官学校があったあの横の坂ですが、河童がここで甘酒屋に化けていたとかいうところか....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
した。 そしてまず教導団にはいって、いったん下士官になって、さらにまた勉強して
士官学校にはいった。 父は少尉になると間もなく母と結婚して、丸亀の連隊へやられ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
りませんわね。この暑いのに、わざわざ鋤焼をおねだりなさるなんて。」 「わしらも、
士官学校時代には、真夏でもよくやったもんさ。」 「でも、みなさんは面白い方ばかり....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
として、自他ともに許している人である。それに家柄も相当で、上層社会に知人が多く、
士官学校の同期生や先輩で将官級になった人たちでも、かれには一目おいているといった....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
胸を打たれたのは、中学時代の先輩中原庸彦中佐の戦死だ。中原君は三次中学校を出て、
士官学校を経て軍籍にあったが、退役して実業に就いていた。今次の支那事変に五十を過....
「いわゆる「反省」は我々を救うか」より 著者:岸田国士
、両肘を枕にしてぐつすり寝込んでいる風を装つてみたくなつた。私の隣席には、将来、
士官学校を首席で出て、今度の戦争で某方面の軍司令官になつたSという温厚謹厳な生徒....
「昨日・今日・明日」より 著者:織田作之助
だ。 「本まや」 と、白崎も大阪弁をつかって、微笑した。 「――あの蓄音機は、
士官学校を出て軍人を職業として選んだというただそれだけのことを、特権として、人間....
「体格検査」より 著者:小酒井不木
です。私は小学校を出るなり、東京のI中学にはいりましたが、中学を卒業すると、陸軍
士官学校を志望したのです。ところが、身体検査で見ごとにはねられました。……」 「....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
く掘るなど、いろいろ準備に忙しい。 榛名山の南麓は近年、相馬ヶ原の演習場や予備
士官学校などができて、あたりに硝煙の臭いが強く、殊に養蚕の発達から箕輪町付近の山....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
ムックリ起上って、そこそこに顔を洗ってから一緒に家を出で、津の守から坂町を下り、
士官学校の前を市谷見附まで、シラシラ明けのマダ大抵な家の雨戸が下りてる中をブラブ....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
いう如きは皆国士の悪夢の囈語であった。 二葉亭は児供の時は陸軍大将を理想として
士官学校を志願までした。不幸にして不合格となったので、軍人を断念して外交方面へ方....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
隊に行くのだから、いっそのこと軍人を少しやり、しかる後に早大に入ろうと思い、陸軍
士官学校を二回、海軍兵学校を一回受けたが、いずれも落第してしまった。早大志望は募....
「黒板は何処から来たのか」より 著者:小倉金之助
八四〇年の期間に、アメリカの数学界に大きな影響を及ぼした、ウェスト・ポイント陸軍
士官学校における、数学の教授から発したのである。 一八一二年の米英戦争は、いろ....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
良栄をたずねてみる気になった。彼は当時善隣書院の中国語教師をしており、後には陸軍
士官学校の教師にもなった男だ。つもる思い出話をしているうちに、池田が『君は大阪商....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
。これがため必要な学校はもちろん排斥しない。下士官中、将校たるべき者を適時選抜、
士官学校に入校せしめて将校を任命する。 今日「面」の戦闘に於ては指揮単位は分隊....