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壱
「壱〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
壱の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋《いずみばし》のあたりは市橋|
壱岐守《いきのかみ》と富田|帯刀《たてわき》の屋敷の者が刈りに来ていたんですが、....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
で来たので、主税は吻と呼吸を吐いて、はじめて持扱った三世相を懐中へ始末をすると、
壱岐殿坂の下口で、急な不意打。 「お前の許でも皆健康か。」 また冷りとした。内....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
◯順調なり。 ◯加藤戒三氏、見舞に来てくれる。牛の血から製したブルテイン第一号
壱缶を寄贈される。血の損失に痛い私にはありがたい贈物なり。 ◯蒼鷺幽鬼雄の第二作....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
たりしていたせいか、一番近しくなった。ことに一緒に順天中学へはいるとすぐ、本郷の
壱岐坂下に一室をかりてそこに一緒に住んだ。 二人とも、学校の方もよく勉強したが....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
文館は此の二十五年間を経過した。当時本郷の富坂の上に住っていた一青年たる小生は、
壱岐殿坂を九分通り登った左側の「いろは」という小さな汁粉屋の横町を曲ったダラダラ....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
俥の蹴込へ、ドンと積んで、山塞の中坂を乗下ろし、三崎|町の原を切って、水道橋から
壱岐殿坂へ、ありゃありゃと、俥夫と矢声を合わせ、切通あたりになると、社中随一のハ....
「亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
問わず、卑しくも私の趣味性を唆るものあらば座右に備えて悠々自適し、興来って新古の
壱巻をも繙けば、河鹿笛もならし、朝鮮太鼓も打つ、時にはウクレルを奏しては土人の尻....
「人間山中貞雄」より 著者:伊丹万作
るようになり、どんな写真を作る人か一つ見ておこうというので初めて見たのは「小笠原
壱岐守」であつた。作品としては特に感心したところはなかつたが、とにかく十何巻かの....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
来ると、何だか頻に気が急いてね、急いで急いでッていうもんだから、車夫が慌ててさ。
壱岐殿坂だッたかしら、ちっとこっちへ来る坂下の処で、荷車に一度。ついこの先で牛車....
「ピストルの使い方」より 著者:泉鏡花
、しばらくじゃ。」 「お父さん、お父さん、榊原――俊明先生です。」 東京――(
壱)――芸学校の教授にして、(弐)――術院の委員、審査員、として、玄武青竜はいざ....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
御用が来て、こちらさまのに善く似た犬の首玉に児供が縄を縛り付けて引摺って行くのを
壱岐殿坂で見掛けたといったから、直ぐ飛んでって其処ら中を訊いて見たが、皆くれ解ら....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ヲ同国人ニテ深ク礼謝致シ候段ヲ申述ベ、且又該時種々御親切|被成下候寸報迄、此引幕
壱帳ヲ宜シク御受納|被下度御願申上候|様、拙者共ヘ委任相成候間、別紙此幕ヘ出金致....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
ったと見えて、咄のついでに能く万年がこういったとか、あアいったとか噂をしていた。
壱岐殿坂の中途を左へ真砂町へ上るダラダラ坂を登り切った左側の路次裏の何とかいう下....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
、外人の目を驚かす。 六日、晴れ。暖気ようやく加わり、春天の融和を見る。筑山・
壱州に応接して、午後四時、長崎に入港す。桜花満開の期を過ぎ、八重桜の最中なり。小....
「茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
よると、昭和十一年の一月三十一日(午後零時――四時)で、富士山を図案化した赤色の
壱銭五厘切手の貼ってある、「石見国府址伊甘の池」の絵葉書であり、他の一通は、昭和....