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「壺井〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

壺井の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
寝そべっていた私も縁端に出てみたけれど、もう螢も何も見えなかった。 夜。隣の壺井夫婦、黒島夫婦遊びに見える。 壺井さん曰《いわ》く。 「今日はとても面白か....
明日咲く花」より 著者:宮本百合子
勤労婦人の中からの婦人作家が出て来た。佐多稲子、松田解子、平林たい子、藤島まき、壺井栄などがそうである。これらの婦人作家は、みな少女時代から辛苦の多い勤労の生活....
旭川から」より 著者:宮本百合子
言葉の才への興じかたも落ちついて来たのではなかったろうか。 最後に会ったのは、壺井栄さんの『暦』の出版のおよろこびの集りの時であった。短い間であったが心持よく....
あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」より 著者:宮本百合子
決定した年でもある。無産階級文学運動の中にもこの対立がはげしく反映した。江口渙、壺井繁治、今野大力などアナーキストであった作家詩人が、次第に共産主義に接近しつつ....
解説(『風知草』)」より 著者:宮本百合子
中井駅から近い崖の上の家に移った。たった一人そこに住んでいた作者の生活は、近所の壺井繁治同栄、窪川稲子、一田アキなどの友情で扶けられた。生活感情の全くちがう父の....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
でになり、ねころがったり起きたりよもやまのお話ですっかりくつろがれました。夕飯を壺井さんと三人でスキヤキをたべて、それから東京駅へお送りして行って、九時ので大阪....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されている。 七月十九日 〔市....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
週間か十日ぐらい。 いろいろ書いて一杯になってしまったけれど、十三日には窪川、壺井夫妻、徳さんの細君、雅子、林町の連中太郎まで来て十三人。六畳にギューギュー。....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
うことはないでしょう、五十貫近いものらしい。甲に落ちたら卒倒していたでしょうね。壺井繁治さんからは中村やのおまんじゅうを、手塚さんからは五円お供えを送って下さい....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
何だかいかにも、マアお正月だから仲間に入って遊んでやろうというようです。 明日壺井さん夫妻が見えるそうです。そして四日には繁治さんが久しぶりでそちらにゆく由で....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
りして。それからマアこれが三十一日でよかった、そとへでも出ようよ、というわけで、壺井の二人、うちの二人、佐藤さんの二人、この一隊が銀座へ出ました。一人も暮の銀座....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
かりに出かけます。 三十一日は吉例どおり、家で寿江子と三人で夕飯をたべそれから壺井さんのところへお恭ちゃんもつれて出かけました。壺井さんのところでは大きい大き....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
紹介で詩を書く色々な人たちに逢いました。萩原恭次郎《はぎわらきょうじろう》氏とか壺井繁治《つぼいしげじ》氏、岡本潤《おかもとじゅん》氏、高橋新吉《たかはししんき....
短命長命」より 著者:黒島伝治
だろう。 この南東を海に面して定期船の寄港地となっている村の風物雰囲気は、最近壺井栄氏の「暦」「風車」などにさながらにかかれているところであるが、瀬戸内海のう....
放浪記(初出)」より 著者:林芙美子
」 寝そべっていた私も縁端に出てみたが、もう何も見えなかった。 夜。 隣の壺井夫婦、黒島夫婦遊びに来る。 壺井さん曰く、 ――今日はとても面白かった。....