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夙
「夙〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
夙の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「疑惑」より 著者:芥川竜之介
暇つぶしを拒絶したい旨希望して置いた。すると幸《さいわい》私の変人だと云う風評は
夙《つと》にこの地方にも伝えられていたものと見えて、やがて私が向うへ行くと、その....
「葱」より 著者:芥川竜之介
たようだ。――とか何とか云う理由から、このカッフェの定連《じょうれん》の間には、
夙《つと》に通俗小説と云う渾名《あだな》が出来ているらしい。もっとも渾名《あだな....
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
がらこう云った。伝右衛門の素朴で、真率《しんそつ》な性格は、お預けになって以来、
夙《つと》に彼と彼等との間を、故旧《こきゅう》のような温情でつないでいたからであ....
「路上」より 著者:芥川竜之介
で云ったんじゃないんだが――いや、ない所か、君の知識の該博《がいはく》なのには、
夙《つと》に敬服に堪えないくらいなんだ。だからまあ、怒らないでくれ給え。」
近....
「魚河岸」より 著者:芥川竜之介
》っ扱《こ》きである。殊に露柴《ろさい》は年かさでもあり、新傾向の俳人としては、
夙《つと》に名を馳《は》せた男だった。
我々は皆酔っていた。もっとも風中と保吉....
「惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
うのだと主張する人は、恐らく私のこの揚言を聞いて哂い出すだろう。お前のいうことは
夙の昔に私が言い張ったところだ。愛は与えることによって二倍する、その不思議を知ら....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
かりに、やっとこの世に生きていられるのです。若しもあの子供がなかったら、私などは
夙の昔に……。』 現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りか....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
である。此等の人達に取りて、地上生活時代の意見の如きは、殆ど問題でない。それ等は
夙の昔に振りすてられ、生前の僻見などは、最早どこにも痕跡をとどめない。むろん此等....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
が国においては全く初めのものであった。 自分は東京大学においてドイツ哲学のほか
夙《つと》に進化論と仏教哲学の影響を受けたのであるが、進化論者はとかく唯物的方面....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
た。 この点では私は全く反対であった。私は自分が悪文家であるからでもあろうが、
夙くから文章を軽蔑する極端なる非文章論を主張し、かつて紅葉から文壇の野獣視されて....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
観の片影をだも認められない。 寒月の名は西鶴の発見者及び元禄文学の復興者として
夙に知られていたが、近時は画名が段々高くなって、新富町の焼けた竹葉の本店には襖か....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
面に臭わされるようになった。 その頃沼南の玄関にYという書生がいた。文学志望で
夙くから私の家に出入していた。沼南が外遊してからは書生の雑用が閑になったからとい....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
亭は軍事であれ外交であれ、左に右く何であろうとも東亜の舞台に立って活動したいのが
夙昔の志であった。軍人たらんと欲して失敗し、外交家たらんと願うてまた蹉躓し、拠ろ....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
水気分に浸ったものでも頭の中では上下を着て大小を佩していた。 二葉亭もやはり、
夙くから露西亜の新らしい文芸の洗礼を受けていても頭の中では上下を着て大小を佩して....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
に度々御幕がかかるのが、かえって嵩高に感ぜられる。万山の奥ともいわるる槍でさえ、
夙くから開け、絶頂始め坊主小屋等は、碑祠を建立せられたるため、幾部分汚されてるが....