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多少とも
「多少とも〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
多少ともの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
わたしが悪かった。わたしはどこまでもあなたを信ずるつもりでいながら、他人の言葉に
多少とも信用をかけようとしていたのが悪かったのです。……考えてください、わたしは....
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
が、他人の興奮に苛立つのはおかしいと人は思うかも知れないが、しかし豹一の興奮には
多少とも計算がまじっていた。だから彼は他人の若い興奮の中にも見えすいた計算を直ぐ....
「演技指導論草案」より 著者:伊丹万作
私の見るところでは、俳優は偉大なる指導者(それは伝説的であってもいい。)の前では
多少ともしゃちこばってしまう傾向を持っている。したがって駈け出しの演出者こそ最も....
「死の快走船」より 著者:大阪圭吉
えば必ず多少の不正確さは免れなかった筈だし、搭乗者の服装やその他の細かな変化も、
多少とも見逃しているのだ。だから一九〇・九二〇|瓩と云う数字は、いや、深谷氏の数....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
騒ぎの間に愛する妻を失い、年頃前後の子供三人を失っている。何れもこの騒ぎの影響を
多少とも受けているであろう。家によってのみ生きている旧家の人間が家を失うことの怯....
「芥川の事ども」より 著者:菊池寛
何人よりも許されんことを望む」という一節があった。文壇人およびその他の人で故人に
多少とも隔意の人があったならば、故人のこの気持ちを掬んで、この際釈然としてもらいたいと思う。....
「地軸作戦」より 著者:海野十三
て、ネルスキーのためには応えない。が、今度だけは博士の眼がぎょろりと光ったのは、
多少ともネルスキーの言葉が博士の皮膚の下まで刺したものらしい。 「そうじゃないか....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
と、席に落着かせた。新子の電話を待ちつづけた準之助には、思いがけない姉の訪問は、
多少とも心うれしいことだったが、同時に新子が病気にでもなって、その断りに姉をよこ....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
は洞然と開いているが、眼球が失われているのである。 アラ神であるということは、
多少とも回教を知っている人には、看取されたに相違ない。 そのアラ神を囲んでいる....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
にその一々を贖いの過程と見て行けば、その贖いのための顕証として、歓喜の相をそこに
多少とも示さねばならない。鶴見はそれを内心に予感し得るものであろうと考えている。....
「文学座『夢を喰ふ女』を演出して」より 著者:岸田国士
でやりたいが、現在経済事情その他の理由で演出意図通りのものは得られぬゆえ、その点
多少とも手のとどくものの中から選ぶという消極的方法がとられた。 またこの芝居全....
「あるニュウ・フェイスへの手紙」より 著者:岸田国士
に帰してやや責任をのがれ得ることに慣れてしまったことにある。 第二は、新劇には
多少とも思想が盛られていて、「考える芝居」の要素があり、観客に考える暇を与えた方....
「ひとりすまう」より 著者:織田作之助
情無いことには、ぼくは、黙っていることがやり切れなかったのだ。好奇心というものは
多少とも人を苛立たせるものだが、ぼくはその時、彼女が何故こんな夜更けに海岸に出て....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
粋のしょめ節の唄と思いちがえたでしょうが、こうした例はいくらもあるでしょう。で、
多少とも年代的に知って置かないと飛んだ恥をかくことになります。民謡の精髄というも....
「色盲検査表の話」より 著者:石原忍
が赤緑色盲及び赤緑色弱であり、それらの人の共通の性質として、赤色と緑色との区別は
多少とも不完全であるに拘らず、青色と黄色とを区別することは健康者と変りがない。即....